言葉で過ちを犯さない者にと
私は言いました。
「私の道を守ろう。
舌で過(あやま)ちを犯さぬように。詩39:2
だれでも、
聞くに早く、
話すのに遅く、
また怒るのに遅いようにしなさい。ヤコブ書1:19
エフェソ書4:(8~10)11~16
サムエル記下5:1~16(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句5/9;木)
私たち、自分の道に気をつけ、自分の道を守る、
舌で罪を犯さないようにしようと心がけています。
けれども、それを全うするのは難しいことですね。
ヤコブが言うように、
私たち、舌で失敗をする者、ですね。
舌は小さな器官ですが、大きなことを言って誇ります。
小さな火が大きな森を燃やすように。
舌は火であり、不義の世界です。
舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚(けが)し、
人生の車輪を焼き、ゲヘナ(地獄)の火によって焼かれます。
舌を制御することは、だれにもできません。
それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。
私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、
同じ舌をもって、神にかたどって造られた人を呪います。
私たちは、心に満ちているものを話します(ルカ6:45)。
ですから、心を変えないで、舌を制御しようとすることは、
いちじくの木がオリーブをならせたり、
ぶどうの木がいちじくをならせたりするようなものです(ヤコブ3:2~12)。
オリーブの実はオリーブの木に、
いちじくはいちじくの木に求めないと得られません。
心の思いは、霊から来ているものなのですね。
だから、霊を取り換えれば心も変わります。
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊は、
サタンの性質を受け、
「私は天に上ろう。
神の星々のはるか上に私の座を上げ、
北の端にある会合の山にすわろう。
密雲(神の御座を包んでいる)の頂に上り、
いと高き方のようになろう」(イザヤ14:12~14)とするものです。
だから、自分の努力で一生懸命、謙虚になろうとしても、
外側を整えることはできても、この性質をどうにかすることはできません。
霊を取り換える以外に。
【父である神】は、
私たちの、この、〔生まれたときからの私〕という霊を
イエスが受けてくださった十字架刑での処刑に合わせて、
処刑済み、死んだものとしてくださるのだそうです。
そのうえで、復活し、天の、ご自身の右の座に着いておられるイエスを通して、
受け入れる者に、
もう一人の助け主(ヨハネ14:16)、聖である霊】と呼ばれる方を派遣して、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置き、書きしるしてくださって、
私たちが神の御思いを持つ者、
神と心を一つにする者にしてくださるのだそうです。
神の御思いが心にある者に(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。
【聖である霊】と呼ばれる方によって新しく生まれた者(ヨハネ3:3~8)、
心を一新していただいた者(ロマ12:2)に。
それで、私たちも、
聞くに早く、話すに遅く、怒るのに遅いようにしていただけるのですね。
一つのからだのそれぞれの器官のように、
神が思っておられるとおりの、それぞれの働きをして、
キリストのからだを建て上げる者にしていただけるのだそうです(エペソ4:11~16)。
「私の道を守ろう」と思っているとおりに。
今日も。
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