風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

見て、聞いて、体験して

 主よ、国々の中で、
私はあなたに感謝をささげ、
御名をほめ歌う。
詩18:50

 

 私たちは、
見たことや聞いたことを
話さないではいられないのです。
使徒4:20

 

 マルコ1:32~39
 サムエル記下21:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句5/27;月)

 
 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と 名乗られる方に、
私たちは感謝をささげ、その御名をほめ歌うのですね。

 

 この方が、あのイエスを通してなさった御業、
完了された救いの御業を(ヨハネ19:30)宣べ伝えて。

 

 イエスがなさったように、
今、ここに来ている神の国
神の統治を受け取るように(マルコ1:32~39)と。

 

 イエスは、ご自身が持っておられる神の御子の権威において、
ご自身の所に来た病人をいやし、
悪霊につかれた人から悪霊を追い出され、
そして、その神の国、神の統治の到来の喜びの知らせを
ガリラヤ全地、ユダヤ全地に告げ知らされたのだそうですから(マルコ1:32~39)。

 

 そして、ダビデの時代に、
サウル王がギブオン人を殺した罪によって、三年間、飢饉があったのですが、
ダビデがギブオン人の求めのとおりに
サウルの子ども7人をギブオン人に引き渡し、
ギブオン人はこれを処刑し、さらし者にしたのだそうです。

 それで、ダビデが、彼らの骨と
ヤベシュ・ギルアデにあったサウルとその子ヨナタンの骨を、
ベニヤミンの地のサウルの父キシュの墓に葬ったとき、
神はこの国の祈りに心を動かされたのだそうです(Ⅱサムエル21:1~14)。

 

 そのように、イエスが、
私たちの身代わりとなって十字架刑による処刑を受けてさらし者なってくださり、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑されたもの、死んだものとしてくださっている今は、

 

 そして、墓にほむられ、
三日目、日曜日の早朝、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の父である神の右の座に復帰されたイエスが派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が来てくださり、

 私たちの心に【父である神】の御思いを置いてくださり、
受け入れる者が【父である神】と一つ思いになって生きるようにしていただける今は、
エスによるこの喜びの知らせは、
エルサレムから始まってユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで(使徒1:8)、
この東の果てに住む私たちのところにまで伝えられているのですね。

 

 それで、これを受け取った者は、
この方に感謝と賛美をささげ、
自分の見たこと、聞いたこと、体験したことを話さないではいられなくなっているのですね。

 

今日も。

 

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