風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

重荷を担い、いのちを得させ、御名を呼ばせてくださって

互いに重荷を担いなさい。
そのようにしてこそ、
キリストの律法を全うすることになるのです。
ガラテヤ書6:2

 

 私たちに命を得させ、
御名を呼ばせてください。
詩80:19

 

 イエスは盲人に言われた。
「見えるようになれ。
あなたの信仰があなたを救った。」
盲人はたちまち見えるようになり、
神をほめたたえた。
ルカ18:42~43

 

 ルカ6:36~42
 詩100(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/14;Ⅱ日曜)

 

 私たちは、それぞれに、
自分では背負いきれない荷物を
負わなければならない時があります。

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
そのようなとき、
その人が一人でその荷物を負うのではなく、
互いにその重荷を担い合うようになってほしいと思っておられるようですね。
共に祈り合い、支え合って。

 

 私たちが御自身の御名を呼ぶようにしてくださり、
私たちに命を得させ、
私たちを生かそうと思っていてくださるのですから。

 

 あのエリコ街道の道ばたにすわり、物乞いをしていた盲人に、
人々がたしなめ、制止するにもかかわらず、
大声でイエスのほうに向かい、
ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫ばせ、

 イエスが立ち止まって彼を呼び寄せ、
「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられると、
すぐさに「主よ。目が見えるようになることです」と答え、

 イエスが彼に
「見えるようになれ。
あなたの信仰(信頼)があなたを直した」とのお言葉をかけると、
その言葉のとおりに、たちどころに目が見えるようになり、
神をほめたたえたながらイエスについて行ったように。

 

 私たち、まわりの人の目にあるちり、欠点や間違いにはよく気がつき、
自分の目にある梁(はり)、欠点や間違いには気がつかない、見えないで、
人を批判し、罪に定める者です。

 

 私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受け、
死者の中から新しい霊のからだに復活し、
天の【父である神】の右の座に復帰されたイエスが派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方。

 

 その方が私たちの心に置いてくださる【父である神】の御思いは、
天の父が憐れみ深いようにあわれみ深い思いであり、
人をさばき、罪に定めるのではなく、
赦し、人に与えていく思いなのだそうです(ルカ6:36~42)。

 

 そして、私たちも、
あの見えるようにしてもらった盲人のように
神をほめたたえながら、
エスの御思いについて行くのですね。

 

 全地よ。主に向かって喜びの声を上げよ。
喜びをもって主に仕えよ。
喜び歌いつつ御前に来たれ。
知れ。【主】こそ神。
主が、私たちを造られた。
私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。
感謝しつつ、主の門に、
賛美しつつ、その大庭に、入れ。
主に感謝し、御名をほめたたえよ。
【主】は慈しみ深く、その恵みはとこしえまで。
その真実は世々に至る(詩篇100新改訳)、と。

 

 イエスに、互いの重荷を担っていただきながら。
この新しい1週間も。

 

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