見よ。あなたの王が来る。 彼は神に従い、 勝利を与えられた者、 高ぶることなく、 ろばに乗って来る。ゼカリヤ書9:9
人の子が、 仕えられるためではなく仕えるために、 また、多くの人の身代金として 自分の命を献げるために来た。マタイ20:28
列王記上3:16~28 マタイ10:16~26a(通読箇所) (ローズンゲン日々聖句8/19;月)
2000年ほど前、 イエスは、最後のエルサレムへ入城に際して、 柔和な王としてろばに、 それも、まだ人を乗せたことのない子ろばを選び、 その子ろばに乗って入場されたのですね(マルコ11:1~11)。
このとき、この方、イエスは、 人々に仕える者として、 すべての人間の身代わりとなり、 ご自分のいのちを私たちを贖(あがな)う贖いの代金、 買い戻しの身代金として支払うため、 十字架刑での処刑を受け、 命を献げるために来てくださったのだそうです。
そして、この方、イエスは、 十字架刑での処刑によって死に、 日没が近づき、 過ぎ越しの祭りの、 特に大事な安息日が始まろうとしていたので、 近くにあった、 アリマタヤのヨセフが自分のために掘ってあった墓に 葬られたのだそうです。
そして、三日目、日曜日の朝、 イエスは死人の中から新しい霊のからだに復活し、 まず、マクダラのマリヤにご自身を現し、 40日にわたって何度も弟子たちに現れ、 神の国のことを語ったのち、 オリーブ山で弟子たちが見守る中、 上げられ、雲に迎えられ、 天の【父である神】の右の座に復帰なさったのだそうです。
その位にあって、 もう一人の方、 【聖である霊】と呼ばれる方を 受け入れる者に派遣してくださるのだそうです。
この方によって 【父である神】の御思いを受け入れる者の心に置き、 受け入れる者が【父である神】と一つ思いになって生きるように、と。
それで、受け入れる者には 【父である神】の知恵も来るようになり、 若いソロモン王が、むつかしい裁判を 神の知恵で裁いたように(Ⅰ列王記3:16~28)、 受け入れる者は、 この方が心に置いてくださる 神の知恵で話すようにしていただける、というのですね(マタイ10:16~26a)。
イエスが命を献げてくださって、来て下さる 【聖である霊】と呼ばれる方によって、 私たちにも。 今日も。
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