風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

へりくだる者を、天の神、主が高めてくださり

預言者ミカ自身)
主に罪を犯したので、
主の怒りを負わねばならない。
ミカ書7:9

 主の前にへりくだりなさい。
そうすれば、
主があなたがたを高めてくださいます。
ヤコブ書4:10

 

 Ⅰコリント10:23~31

 マタイ10:34~42(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句8/21;水)


 自分自身の「的外れ」の実態を認めて、
私自身のすべての点において、
主は正しいとすること、
それが、へりくだることなのでしょうか。

 

 私たちがそのようになったとき、
天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者と名乗られる方が、
私を高めてくださるのだそうです。

 

 「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって、
天の神、主の創造の目的から「的外れ」になっている、
私の〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスの受けて下さった十字架刑での処刑に合わせられたものとして、
処刑済み、死んだものとしてくださり、

 

 死んで、墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
確かに、ご自身が生きていることを示されたうえで、
天の【父である神】の右の座に復帰なさったイエス

 

 そのイエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方が、
私たちに神の子の身分を与えてくださり、
さらに【父である神】の御思いを心に置いてくださって、
【父である神】と思いを同じくし、心を一つにして、
【父である神】がしようと思われることをしていくように
してくださるのだそうです。
キリストのからだとし、
子にふさわしい生き方をする者に。

 

 食べるにも、飲むにも、何をするにも、
御心を求め、
神の栄光を現すように(Ⅰコリント10:31)、と。

 

 イエスが十字架刑での処刑を受けるために
処刑上に向かって歩んでおられるときには、
私たちも自分が架かるべき十字架を背負って(マタイ10:38)。

 

 そして、イエスが十字架刑での処刑を受け、
私たちの死を完了していてくださる今は、
〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いを
処刑されたもの、死んだものから出て来た思いだと認めて、
エスの御前にかなぐり捨てながら。

今日も。

 

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