風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

ただ、神の側の恵みによって

わたしは恵みの時にあなたに答え、
救いの日にあなたを助けた、
と主は言われる。
イザヤ書49:8

 

 主は、
御自分を呼び求めるすべての人を
豊かにお恵みになられます。
ロマ書10:12

 

 ロマ書11:1~12

 マタイ12:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句8/26;月)


 天の神、主、
「『私はある(I am)』という者」と名乗られる方は、言われるのですね。
「わたしは恵みの時にあなたに答え、
救いの日にあなたを助けた」、と。
御自分の民であると民でないとの区別に関係なく、
御自分を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられて。

 

 神が最初に選ばれた民、イスラエルは、
エスを受け入れず、
神から退けられてしまったかのように見えます。

 

 たとえば、イエスがこの世におられた当時、
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
どんな仕事もしてはならない」(出エジプト20:8~11新改訳)という律法を
自分の力でしっかり守ろうと努力していて、
安息日に麦の穂を摘んで食べたイエスの弟子たちを
安息日を破る者として非難し、
また、安息日に病人をいやすイエス
滅ぼしてしまおうとするようになったのですね(マタイ12:1~14)。

 

 そして、イエスを神を冒涜する者として、

「その血の責任は私たちと私たちの子孫にかかってもよい」とまで言い切って、
釈放しようとするローマ総督ピラトに、
エスを十字架刑で処刑で処刑するよう迫ったのだそうです。

 

 しかし、神は、
あらかじめ知っておられたご自分の民を
退けてしまわれたのではないのだそうです。
彼らがつまずいたことによって
神の救いが私たち異邦人に及び、

そして、神の恵みによって
彼らも完成してもらえるのだそうですから(ロマ11:1~12)。

 

 私が、「これだけ律法を守りました」、という、
自分の行いの功績によってではなく、
ただ、神の側の「恵みたい」との御思いによって。

 

私たちも。

今日も。

 

 

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