風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

知らねばならぬことを、まだ知らなくて

主を畏(おそれ)れることは諭(さとし)と知恵。箴言15:33

 自分は何か知っていると思う人がいたら、
その人は、
知らねばならぬことをまだ知らないのです。
しかし、神を愛する人がいれば、
その人は神に知られているのです。
Ⅰコリント8:2~3

 

 ロマ書11:25~32
 マタイ12:33~37(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句8/29;木)

 
 知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を高める、のだそうです。
自分は何かを知っている、自分には知識があると思っている人は、
自分は、まだ、知らなければならないことを知っていないんだと
自覚すべきだ、というのですね。

 

 神を愛する愛があれば、その愛は神から来ていて、
その人は神に知られているから、のようです。

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方を
畏敬することは
諭(さとし)と知恵、知恵の訓戒であり、
謙遜は栄誉に先立つのだそうですから。

 

 

 異邦人クリスチャン、異邦人の教会は、
自分たちこそ、神についての知識を持っている、
自分たちは神の救いを受け入れた賢い者、
ユダヤ人は捨てられ、
自分たちこそ神の民とされた者だ、と、高ぶることがないように、
と、パウロは言うのですね。

 

 ユダヤ人、イスラエル人の一部がかたくなになったのは
異邦人の完成のなる時までであり、
そのときが来ればイスラエルはみな救われることになるのだそうですから。

 

 「救う者がシオン(エルサレム)から出て、
ヤコブイスラエルのこと)から不敬虔を取り払う。
これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。
それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である」、
と書かれているとおりに。

 

 神の賜物と召命は変わることがないのだそうです。
天の神、主は、
私たち異邦人をあわれんでくださったように、
神の民、イスラエルもあわれまれるのだそうですから(ロマ11:25~32)。

 

 

 木が良ければ、その実もよいとし、
木が悪ければその実も悪いとするべきなのですね。

 

 霊の思いは言葉によって現れるのですから、
木の善し悪しがその実によってわかるように、
私たち自身である霊の善し悪しは、
私たちの言葉によって明らかになる、というのですね。

 

 良い人は、良い倉(霊)から良いもの(言葉)を取り出し、
悪い人は悪い倉(霊)から
悪いもの(言葉)を取り出すことになるのだそうです(マタイ12:33~37)。

 

 だから、「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになって(創世記3:5,22)、
神の創造の目的から「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊は、
「悪い木」であることを認めて、

 イエスが受けてくださった十字架刑での処刑に合わせていただいて、
処刑されたもの、死んだものとしていただき、

 

 死んで墓に葬られ、
三日目、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスが派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えし、

 この方によって
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
【父である神】と一つ心にしていくもの、
良い木としていただけるのだそうですから。

 

 主を畏れ、神を愛する思いに。

私たちも。
今日。

 

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