風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

望みは、天の神、主にあるのですから

主は御顔をヤコブの家に隠しておられるが、
なお私は彼に望みをかける。
イザヤ書8:17

 

 私たちは心強いのですが、
体を住みかとしているかぎり、
主から離れていることも知っています。
目に見える者によらず、
信仰によって歩んでいるからです。
Ⅱコリント5:6~7

 

 サムエル記上17:38~51
 マタイ13:1~9、18~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句9/3;火)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方が、
私たちに御顔を隠しておられるとしても、
私たちはなお、この方に望みをかけ、この方を待つ、と言うのですね。

 

 私たち、この肉体に住んでいるかぎりは、
天の神、主から離れているという状況がありますが、
私たちへの保証として【聖である霊】と呼ばれる方が私たちに来てくださっているので、
私たちは心強いのですね。

 

 それで私たちは、
この、見える状況によってではなく、
約束の言葉を下さっている方を信頼して歩みます。

 

イスラエル軍に向かってくるペリシテ軍の代表戦士ゴリアテ
背の高さは2メートル80センチ、
頭には青銅のかぶと、
身にはうろことじのよろい、
足には青銅のすね当てをつけ、
背中には青銅の投げ槍を背負って向かって来る、

 

 そのゴリアテに向かって、
少年ダビデが、
ただ、天の神、主への信頼において、
羊飼いの杖と小さな石5つと石投げ器で向かっていったように。

 

 「おまえは、剣と槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、
私は、おまえがなぶった、からかってバカにした
イスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。
きょう、神である主、
「『わたしはある(I am)』という者と名乗られる方は、
おまえを私の手に渡される。

すべての国は、イスラエルに神がおられること、
、「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
剣や槍を使わずに救うことができることを知るであろう。
この戦いはの戦いだ。
主はおまえたちをわれわれの手にわたされる」(Ⅰサムエル17:45~47)と、
天の神、を信頼して。

 

 御国の言葉を聞いて、理解して悟り、信頼してついて行く人は、
100倍、60倍、あるいは30倍の実を結ぶのだそうですから(マタイ13: 23)。

今日も。

 

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