風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

尊敬をもって、互いに相手を自分よりも優れた者と思い

見よ、兄弟が共に座っている。
なんという恵み、
なんという喜び。
主は布告された、
祝福と、とこしえの命を。
詩133:1、3

 

 兄弟愛をもって互いに愛し、
尊敬をもって
互いに相手を優れた者と思いなさい。
ロマ書12:10

 

 ルカ22:54~62
 マタイ13:31~35(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句9/6;金)


 兄弟が、家族が共にいる。
私たち、それを当たり前のように、当然のように思っていますけれど、
それは、天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方からの恵みの出来事なのですね。
私たちを喜ばせようとの。

 

 この方は、
私たちの住まいとして天と地を造られた方。
私たちに祝福と、とこしえの命を与えようと、命じていて下さる方、なのだそうです。

 

 

 私たち、「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって、
「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊をから出てくる思いは、
自分を神よりも上に置こうとするものであり、
他の人よりも上に、前に、
優れた者でなければ気が済まないものなのですね。

それで、他の人の自分よりも劣っているところを見つけては安心する。

 

 けれども、
エスが私たちに代わって受けてくださった
十字架刑での処刑を通して私たちに来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方。

 

この方が心に置いてくださる【父である神】の御思いは、
隣の人を愛し、
尊敬をもって互いに相手を自分よりもすぐれた者と思う思いなのだそうです。

 

 女中や下役の者から、
「お前もイエスの仲間だ」と言われて、あわてて「違います。あの人を知りません」と
三度もイエスを否定したペテロを、
振り向いて見つめられたイエスの慈しみのまなざし(ルカ22:54~62)のように。

 

 そして、この、イエスの受けてくださった十字架刑での処刑、
墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝に起こった、死人の中からの新しい身体での復活、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、ご自分が生きていることを見せ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰され、

 

 10日後、
約束の言葉のとおりに【聖である霊】と呼ばれる方を
待ち望んでいた弟子たちに派遣してくださり、
この方が心に置いてくださる【父である神】の御思いのとおりに
【父である神】と思いを一つにして、
弟子たちが行動するようになったあのペンテコステ(五旬節)の出来事(使徒2章)。

 

 このイエスの十字架を通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方による神の国、神の統治の出来事は、
それ以来、成長し、広がり続けているのですね。
受け入れる者、ひとりひとりの心に。
そして、世界中に。

 

 野菜の中で種が一番小さく、針の先でちょっと突いたくらいの、
よく見ないと気が付かないくらいの大きさのからし種が、
成長すると、どんな野菜よりも大きくなり、
空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になるように。

 

 また、パン種が、3サトン(39リットル)の粉に入れられると、
粉全体をふくらませるように。

 

 受け入れる者に、
今日も。

 

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教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい

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