風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神の霊と呼ばれる方をお迎えして

彼は傷ついた葦を折ることなく、
暗くなっていく灯心を消すこともない。
イザヤ書42:3(9/8の週の聖句)

 

 彼(主の僕)の上にわたしの霊は置かれ、
彼は国々の裁きを導き出す。
イザヤ書42:1

 

 イエスの言葉:

わたしは
真理について証しをするために生まれ、
そのためにこの世に来た。
ヨハネ18:37

 

 マルコ7:31~37
 詩78:1~31(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句9/8;Ⅱ日曜)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
イザヤを通して預言されるのですね。
 

「見よ。わたしのささえるわたしのしもべ。
わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。
わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
彼は国々に公義をもたらす。
彼は叫ばず、声を上げず、ちまたにその声を聞かせない。
彼はいたんだ葦を折ることもなく、
くすぶる燈心を消すこともなく、
まことをもって公義をもたらす(イザヤ42:1~3新改訳)、と。

 

 そして、その700年余りのちに、
ナザレの貧しい一処女マリヤの胎を通して
人間の世に来たイエスについて、
「神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。
神が御霊を無限に与えられるからである」(ヨハネ3:34)と言われています。

 

 また、ローマ総督ピラトの取り調べに対して、
エスご自身が
「わたしは、真理の証しをするために生まれ、
このことのために世に来たのです」と答えておられます。

 

 イザヤ書35:4~6には、
「神は来て、あなたがたを救われる。
そのとき、目の見えない者の目は開き、
耳の聞こえない者の耳はあく。
そのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね、
口のきけない者の舌は喜び歌う」と記されています。

 

 イエスガリラヤ湖に来られた時、
人々は、耳が聞こえず、口のきけない人を連れて来て、
彼の上に手を置いてくださるよう、願ったのだそうです。
そこで、イエスは、
その人だけを群衆の中から連れ出し、
その両耳に指を差し入れ、
それから、つばきをして、その人の舌にさわられ、
天を見上げ、深く嘆息して、
その人に「エパタ(開け)」と言われた。
すると彼の耳が開き、
舌のもつれもすぐに解け、
はっきりとはなせるようになった」(マルコ7:31~35)のだそうです。

 

 

 「私の民よ。
私の教えを耳に入れ、
私の口のことばに耳を傾けよ」(詩78:1)と言われています。

 

 私たちに代わって十字架刑での処刑を受け、
死んで葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活し、
天の【父である神】の右の座に復帰されたイエス
 

 そのイエスが派遣してくださる【聖である霊】と呼ばれる方。
その方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いに耳を傾けてほしいのだそうですね。
この新しい週も。

 

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