風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

不義から身を引き、人を偏り見ない心に

裁きを曲げず、
(かたよ)りを見ず、
賄賂を受け取ってはならない。
賄賂は賢い者の目をくらませ、
正しい者の言い分をゆがめるからである。
申命記16:19

 

 主の名を呼ぶ者は皆、
不義から身を引くべきである。
Ⅱテモテ2:19

 

 使徒9:31~35
 マタイ14:1~12(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句9/11;水) 

 

 「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)
私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
先入観があり、人を偏(かたよ)り見て、
あるいは賄賂を受け取って裁きを曲げるものです。

 

 善をしたいという願いがあっても、
それを実行することがなく、
自分でしたいと思う善を行わないで、
かえってしたくない悪を行ってしまう現実が中で(ロマ7:18~19)。

 

 天の神、主、「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
その、私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑されたもの、死んだものとしてくださるのだそうです。
エスが受けられた十字架刑での処刑に合体させて。

 

 

 イエスは、死んで、墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何でも弟子たちに現れ、
ご自分が生きていることを見せ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰なさったのだそうです。

 

 そして、そこから、
もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちに派遣してくださるのだそうです(ヨハネ16:7)。

 

 この方によって、
私たちの心に【父である神】の御思いを置き、書きつけて、
受け入れる者が
【父である神】と思いを同じくし、
心を一つにして生きるように(エレミヤ31:31~33、エゼキエル36:25~28)と。

心を一新してくださって(ロマ12:2)。
 

 不義から身を引き、
人を偏(かたよ)り見ず、
賄賂を受け取らず、
裁きを曲げない心に。

 

 聖められ、
【父である神】にとって有益なもの、
あらゆる良いわざに間に合う者、
尊いことに使われる者となって(Ⅱテモテ2:21)。

 

 そのような神の扱いを受けたペテロのように。
エルサレムからヨッパ(地中海沿岸の町)へ下る途中の町、ルダで、
8年の間、中風で床に着いているアイネアという人に、
ペテロが、
「アイネヤ。イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです。
立ち上がりなさい。
そして自分で床(とこ)を整えなさい」と言うと、
彼はただちに立ち上がった(使徒9:32~34)ように。

 

 【聖である霊】と呼ばれる方によって、
私たちも。
今日も。

 

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