風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

イエスご自身、苦難を受けられたからこそ、苦しんでいる人を

なぜ神は労苦する者に光を賜り、
悩み嘆く者を生かしておかれるのか。
彼らは死を待っているが、
死は来ない。
ヨブ記3:20~21

 

 事実、
エスご自身、
試練を受けて苦しまれたからこそ、
試練を受けている人たちを
助けることがおできになるのです。
ヘブル書2:18

 マタイ12:15~21
 マタイ14:22~36(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句9/13;金) 


 労苦し、
死によって苦しみから解放されたいと願うほどに
悩み嘆くことがあります。

 

 イエスは、ご自身、
あの十字架刑での処刑という苦しみを受けられた方。
それで、苦しんでいる者、
試練を受けている者の苦しみを、
ご自身のこととしてわかってくださり、
助けてくださるのだそうです。

 

 病の人をいやされ、
「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、
わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。
わたしは彼の上にわたしの霊を置き、
彼は異邦人に公義を宣べる。
争うこともなく、
叫ぶこともせず、
大路でその声を聞く者もない。
彼はいたんだ葦を折ることもなく、
くすぶる燈心を消すこともない。
公義を勝利に導くまでは。
異邦人は彼に望みをかける」(マタイ12:15~21)と
イザヤをとおして、【父である神】が言われているとおりに。

 

 神は、モーセをとおして、葦の海の水を分け、
エジプトを脱出してきたイスラエルの民を
乾いた地を行くようにして向こう岸に渡らせ、
追い迫ってくるエジプト軍の戦車隊から救われたのですが、

 

 イエスは、
ガリラヤ湖の水の上を歩いて、
向かい風でこぎ悩む弟子たちの舟に近づかれて。

 

 ゲネサレ地方の人たちも、
エスと気づいて、
付近の地域にくまなく知らせ、
病人という病人をみな、
エスのところに連れて来たのだそうです。
そして、せめて彼らに着物のふさにでもさわらせてやってくださいとお願いし、
さわった人々はみな、いやされたのだそうです。

 

 苦しみ悩む者の苦しみを
ご自身の身に負って(イザヤ53:4)。

 

エスは、私たちにも。
今日も。

 

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