風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

喜び躍る、その日を目指して

苦しんでいた人々は
再び主にあって喜び祝い、
貧しい人々は、
イスラエルの聖なる方のゆえに喜び躍る。
イザヤ書29:19

 

 ファリサイ派の人々は(主の)弟子たちに、
なぜ、あなたがたの先生は
徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」
と言った。
マタイ9:11

 

 ヤコブ書2:5~13
 マタイ16:21~28(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句9/20;金)

 
 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
苦しみでへりくだり、柔和にされた者を
喜び祝うようにしてくださるのですね。
貧しい人々を楽しませ、喜び躍るようにも。

 

 イエスご在世の当時、パリサイ人
(自分を神の律法に忠実な者と自認し、
他の人々から自分を分離していた)たちは、
安息日を守ることと、
(けが)れを受けないことを特に注意していたようです。

 

 それで、異邦人や罪人、
取税人(徴税人:支配者ローマ帝国のために税金を集めていた)の
家に入ったり、一緒に食事をすることは
汚(けが)れを受けることだとして、避けていたのだそうです。

 

 けれども、その考えは、
「昔の人々の言い伝え」によるものであって、
律法を与えられた神の御思いではなかったようですね。

 

 それで、イエスは取税人、罪人と呼ばれる人の家にも入り、
食事も一緒にされていたのですね。

律法を自分の力で守ることに熱心な人々から非難されながら。

 

 私たちも富んでいる人、立派な身なりをした人々に
心を向けがちな者です。

 

 しかし、天の神、主は、
貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、
神を愛する者に約束されている御国を相続する者にしてくださるのだそうです。

あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのだそうですから(ヤコブ2:5~13)。

 

 イエスは、
【父である神】の、
私たち人間に対するあわれみの御思いを受けて、
エルサレムで、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、
(十字架刑で)殺され、
そして三日目に、(新しい霊のからだに)よみがえり、
(天の、【父である神】の右の座に復帰されたのち)、
父の栄光を帯びて、御使いたちとともに来ようとしている、というのですね。

 

 その時には、おのおののその行いに応じて報いをするのだそうです。
貧しい人々に御国を相続させて、喜び躍るように、と。

 


 十字架刑で処刑される人が、
自分がつけられる十字架を負って、刑場まで歩かされたように、
私たちも、
エスが、十字架刑に向かって歩まれているときには、
自分を十字架刑で処刑される者として、

 

 そして、イエスが、十字架刑での処刑を受け終えられている今は、
自分を、自分自身である〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑された者、死んだものとして(マタイ16:21~28)。

 

 そして、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えし、
この方によって
【父である神】の御思いを心に置いていただきながら。

【父である神】と心を一つにしながら(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。
喜び躍るその日を目指して。

今日も。

 

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