風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

御霊に導かれて進もうではありませんか

今日こそ、
主の声に聞き従わなければならない。
心を頑
(かたく)なにしてはならない。
詩95:7~8

 

 聖霊に満たされますように。エフェソ書5:18

 

 ヨハネ21:20~24
 イザヤ書52:13~53:5(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句12/27;金)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方の
御思いについて行くことこそ、
私たちにとって重要なこと、のようです。

 

 「的外れ」の、
「神のひとりのようになり、善悪を知るようになっている」私たちは、
心の頑(かたく)なな者であり、
自分の理性の判断で「善し」と思うことをやっていく者ですけれど。

 

 【父である神】は、その判断の出どころである、私自身、
〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスの十字架刑での処刑に合わせてくださって、
処刑された者、死んだものとしていてくださるのだそうですから。


 イエスは、十字架刑での処刑を受け、
墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、死人のうちから新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたのだそうです。

 

 そして、求める者にもう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださり(ルカ11:13)、
この方によって【父である神】の御思いを私たちの心に置き、
書きつけてくださるのだそうですから(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 それで、受け入れる者は、
【父である神】と思いを同じくし、心を一つにし、
行動を一つにしていくようにしていただけるのだそうですから(創世記1:26、ヨハネ17:21~22)。

 

 【聖である霊】と呼ばれる方によって、
御思いの中に満たされ、
上からおおっていただき、沈められ、漬け込まれて。

 

 私たちは、ペテロがそうであったように、
ほかの人はどうなんだろうかと気にする者なのですね。
けれども、イエスは、
「それがあなたに何のかかわりがありますか。
あなたはわたしに従いなさい」と言われるのですね。(ヨハネ21:20~22)

 
 イエスご自身、
人を気にすることなく、
【父である神】の御思いのとおりに
ご自身の道を歩まれたのだそうですから。


 その顔だちはそこなわれて人のようではなく、
その姿も人の子らとは違っていて、
多くの国々は、驚き、王たちは口をつぐむことになるのだそうです。


 彼は主の前に若枝のように芽生え、
砂漠の地から出る根のように育った。
彼には、私たちが見とれるような姿もなく、
輝きもなく、
私たちが慕うような見ばえもない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、
悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ、
私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、

私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、
私たちのそむきの罪のために(槍で)刺し通され、
私たちの咎(とが)のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、
おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、【主】、「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちすべての咎(とが)
彼に負わせた。(イザヤ52:13~53:6 新改訳)

 

 【聖である霊】と呼ばれる方は、
私たちにも、この方のように
【父である神】の御思いのとおりに
ついて行かせてくださるのだそうですから。
今日も。

 

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