風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちが、自由人として生きられるようにと

わたしが彼らの軛(くびき)の棒を折り、
彼らを救い出すとき、
彼らはわたしが主であることを知るようになる。
エゼキエル書34:27

 

 主の霊のおられるところに
自由があります。
Ⅱコリント3:17

 

 マタイ2:13~18
 イザヤ書53:6~12(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句12/28;土)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方が、
私たちを救ってくださり、
私たちの自由を奪っているくびきを取り去ってくださるというのですね。
 

 【主の霊】、【聖である霊】と呼ばれる方は、
私たちを解放し、
自由な生き方をさせてくださるのだそうですから。

 

 その当時、ユダヤを治めていたヘロデ大王が、
ユダヤ人の王として生まれた方」(マタイ2:2)、赤ん坊のイエスを、
自分の王位を脅かす者として殺そうと兵を送ったとき、
主の使いが現れ、
ヨセフとマリヤとイエスをエジプトに避難させたように。(マタイ2:13~18) 

 

 このイエスについての、
700年ほど前のイザヤの預言は次のようでした。
 

 私たちはみな、羊のようにさまよい、
おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちのすべての咎(とが)
彼に負わせた。
 

 彼は痛めつけられた。
彼は苦しんだが、口を開かない。
ほふり場に引かれていく羊のように
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように
彼は口を開かない。
しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、
生ける者の地から断たれたことを。
彼の墓は悪者どもとともに設(もう)けられ、
彼は富む者とともに葬られた。
彼は暴虐を行わず、その口に欺(あざむ)きはなかったが。
 

 しかし、彼を砕いて、痛めることは
【主】のみこころであった。
もし彼が、自分のいのちを
罪過のためのいけにえとするなら、
彼は末長く、子孫を見ることができ、
【主】のみこころは彼によって成し遂げられる。
彼は、自分のいのちの
激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、
その知識によって多くの人を義とし、
彼らの咎(とが)を彼がになう。
それゆえ、わたしは多くの人々を彼に分け与え、
彼は強者を分捕り物として分かちとる。
彼が自分のいのちを死に明け渡し、
そむいた人たちとともに数えられたからである。
彼は多くの人の罪を負い、
そむいた人たちのためにとりなしをする。(イザヤ53:6~12 新改訳)

 

 この言葉のとおりにイエスは、逃げることもなく捕縛され、
裁判の席においても、一言の反論、抗弁をすることもなく、
兵士たちにも、なされるままに身を任せ、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。


 そして、イエスの、この十字架刑での死と

三日目の新しいからだへの復活、
そして、天の【父である神】の右の座への復帰を通して
私たちに【聖である霊】と呼ばれる方が来てくださる道が開け、

この方をお迎えするところには、
神との交わりの中における自由があるのだそうですから。

今日も。

 

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