風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

恵みの上に、さらに恵みを

私たちは皆、
この方の満ちあふれる豊かさの中から
恵みの上に、更に恵みを受けた。
ヨハネ1:16(1/19の週の聖句)

 

 悪人が自分の行った悪から離れて
正義と恵みの業
(わざ)を行うなら、
彼は自分の命を救いことができる。
エゼキエル書18:27

 

 パウロの手紙:
「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」
という言葉は真実であり、
そのまま受け入れるに値します。
Ⅰテモテ1:15

 

 ヨハネ2:1~11
 詩133(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句1/19;Ⅲ日曜)

 

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方 ( 出エジプト3:14)は、
御前に差し出せる何の功績もない、

あるのは、背き、敵対、
あるいは無視する「的外れ」の私たちに、
ご自身の側の一方的な働きによって救い、贖(あがな)いを用意し、
恵みとして私たちに与えようとしていてくださるのだそうです。
 

 私たちをご自身の「子」とし、
ご自身と同じ栄光で包んで御国を受け継ぎ、
永遠の世界でご自身と心を一つにして生きるようにと。

 

 それで、私たちは、
恵みの上に更に恵みを受け、
恵みから恵みへと進むのだそうです。
この方の恵みに信頼し、この方に向き直って、
いのちをいただきながら。

 

 そのように私たちを恵むために、
【御子である神】が人間イエスとして人の世に来てくださり、
私たちが問われるべき責任のすべてをご自身の身に負って
十字架刑での処刑を受け、
私たちがこのままで御前に立てるようにしていてくださるのだそうですから。


 イエスは、カナでの婚宴に招かれ、ぶどう酒がなくなってしまった時、
まだ、ご自分を世に現す時ではないのに母の信頼に応えて、
花婿が恥を受けることがないようにと、
水を最良のぶどう酒に変えてくださる、
恵み深い方なのですから。(ヨハネ2:1~11) 


 「見よ。なんという幸せ、なんという楽しさだろう。
兄弟たちが一つになって、ともに生きることは」(詩篇133:1新改訳)
とうたわれている、
その、イエスの兄弟として、
心を一つにしてともに生きるようにと。

罪人の私たちを恵みによって。
今日も。

 

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