風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えない、自由な生き方をくださって

わたしは
あなたたちが奴隷にされていたエジプトの国から
あなたたちを導き出した
あなたたちの神、主である。
わたしはあなたたちの軛
(くびき)を打ち砕き、
あなたたちが立って歩けるようにした。
レビ記26:13

 

 キリストは
私たちを自由の身にしてくださったのです。
だから、奴隷の軛
(くびき)
二度とつながれてはなりません。
ガラテヤ書5:1

 

 ロマ書9:31~10:8
 Ⅰコリント1:10~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句1/21;火)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方(出エジプト3:14)は、

今から3500年ほど前のこと、
エジプトの国で奴隷とされていたイスラエルの民をエジプトから導き出し、
自立して歩めるようになさった方なのですね。

 

 そして、自分の力で自分を律し、
神の基準に達し、
神から「義なる者」と認めてもらわねばならない、とする軛を
不要なものとし、
私たちを【聖である霊】と呼ばれる方による
自由の律法で生きる者としてくださっているのだそうです。

 

 だから、その、以前の生き方に帰らないように、と勧められているようですね。
自分の力で、自分の行いによって
神の義に到達しようとする努力は、
神がイエスによって差し出してくださっている恵み、
エスへの信頼によってすべての人に与えられる救いに
つまずいてしまうほかないのだそうですから。

 

 【父である神】は、
十字架刑での処刑を受けて、死んで
墓に葬られたイエスを死者の中からよみがえらせ、
天の、ご自身の右の座に復帰させなさせ、
このイエスによって私たちを義と認めてくださるのだそうですから。(ロマ9:31~10:10)

 

 そして、この出来事を、
すべての人が信頼して受け取ってほしいと願っておられるのだそうです。

エスが受けられた十字架の死が空しくならないように。(Ⅰコリント1:17) 
 

 イエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって私たちにも、
孔子が言う、
「七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」との
自由な生き方を与えて。

今日も。

 

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