風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私の魂を死から、目を涙から、足を突き落とそうとする者から助け出し

あなたは私の魂を死から、
私の目を涙から、
私の足を突き落とそうとする者から、
助け出してくださった。
詩116:8

 

 イエスは御自分の死によって、
死の恐怖のために一生涯、
奴隷の状態にあった者たちを
解放なさいました。
ヘブル書2:15

 

 使徒15:22~31
 Ⅰコリント1:26~31(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句1/23;木)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちを守り、支えてくださる方。

あらゆる困難から、敵から、死からも。

 

 イエスが十字架刑での処刑を受けて死んでくださり、
初穂として新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰され、

 

 そのイエスを通して【聖である霊】と呼ばれる方が来てくださり、
この方によって【父である神】の御思いが私たちの心に置かれ、
私たちが【父である神】と心を一つにして生きる、
 

「神の一人のようになり、善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)

〔生まれたときからの私〕を死んだものとし、
【聖である霊】と呼ばれる方によって新しく生きる生き方が来ている今は、
私たちは死の向こうにも希望を与えられているのですね。

 

 イエスが号令と御使いのかしらの声と
神のラッパの響きとともに天から下って来られる時、
キリストにある死者がよみがえり、
それから、生き残っている私たちが、一瞬のうちに
この肉体を新しい霊のからだに変えられ、
空中に引き上げられ、
いつまでも、イエスがおられる所で
エスとともにいることになるのだそうですから。
(Ⅰコリント15:50~52、1テサロニケ4:16~17)
エスと同じ神の子の栄光を着せていただいて。

 

 それはパウロが言うように、
「私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。
実はそのほうが、はるかにまさっている」(ピリピ1:23)出来事なのだそうですから。

だから死は、絶望ではなく、希望の門なのですね。

今日も。

 

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