風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

その日、神は御心のとおりを実行なさるのだそうですから。

その日には、
人間の高ぶる目は低くされ、
高慢なものは卑しめられ、
主はただひとり、高く上げられる。
イザヤ書2:11

 

 思い違いをしてはいけません。
神は、人から侮られることはありません。
ガラテヤ書6:7

 

 エレミヤ書14:1~9
 Ⅰコリント2:1~9(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句1/24;金)


 その日、終わりの日には、多くの民族が来て言う。
「さあ、【主】の山エルサレムに上ろう。
主はご自分の道を私たちに教えてくださる。
私たちはその道筋を進もう」、と。
それは、シオンからみおしえが、
エルサレムから【主】のことばが出るからだ。
主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。
彼らはその剣を鋤(すき)に、
その槍(やり)を鎌(かま)に打ち直す。
国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない、
ようになるのだそうです。(イザヤ2:2~4)

 

 そして、人間の高ぶりはかがめられ、
人々の思い上がりは低くされ、
偽りの神々、人間が考え出した神々は消え去る、のだそうですから。

 

 だから、神が、今すぐに裁きをなさらないからと言って、
神の忍耐と寛容を軽んじ、
神はいない、神は何もしないと思い違いをしてはいけないのですね。

 

 人は種を蒔けば、刈り取りもすることになる。
自分の肉(生まれたときからの私という霊)に蒔けば、
肉から滅びを刈り取り、
御霊に蒔く者は、
御霊から永遠のいのちを刈り取ることになるのだそうですから。(ガラテヤ6:7~8新改訳)

 

 たとえ、今、神は私たちを置き去りにし、遠く離れてしまって、
救ってくださらないかのように見えていたとしても。(エレミヤ14:8~9)

 

 【父である神】は、だれ一人滅びることがないように、
すべての人が、
十字架刑での処刑を受けて死なれたイエス・キリスト(Ⅰコリント2:2)を
受け入れて救いに至るようにと、
忍耐と寛容をもって終わりの時、その日を
先延ばしにしていてくださるのだそうですから。(Ⅱペテロ3:9)

 

十字架刑での処刑を受けて死なれ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエス
 

そのイエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る、
【父である神】の御思いと心を一つにしながら。
 今日も。

 

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