風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

マリヤがそうであったように、イエスの言葉に聞き入って

わたしは多くの戒めを書き与えた。
しかし、彼らはそれを
無縁なものと見なした。
ホセア書8:12

 

わたしは
真理について証しするために生まれ、
そのためにこの世に来た。
真理に属する者は皆、
わたしの声を聞く。
ヨハネ18:37

 

 マタイ26:6~13
 マルコ14:53~65(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/6;月)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)が
多くの戒め、教えを書き与えてくださっても、
私たちはこれを他国人のもののように見なし、
自分とは無縁なものとしてしまうのですね。

 

 イエスが、真理そのものとして
ご自身を証しするために来られても、
エスの裁判をしたローマ総督ピラトがそうであったように、
人々はこれを自分とは関係のないものとして。

 

 しかし、真理に属する者、神に属する者は
エスの言われることを聞くのだそうです。
そして、イエスを愛する者になるのですね。
 

 ベタニアのマリアが非常に高価なナルドの香油を、
そのつぼを割って、その全部イエスに注ぎかけ、
エスから「わたしに埋葬の用意をしてくれた」と喜ばれたように。(マタイ26:6~13)

 

 確かに、その数日後には、
エスは、12弟子の一人、イスカリオテのユダの裏切りによって
祭司長、律法学者たちに捕らえられ、
サンヘドリン(ユダやの最高法院)での裁判にかけられ、
大祭司からの
「おまえは、ほむべき方の子キリストなのか」との問いに、
「わたしがそれです。
あなたがたは、人の子が力ある方の右の座に着き、
そして天の雲とともに来るのを見ることになります」と答え、
「神を冒涜することばだ」として、死刑の判決を受け、
十字架刑での処刑を受けることになったのですから。(マルコ14:53~65)

 

 私たち自身は、
エスの言葉を自分に関係のない無縁なものとする者ですが、
マリヤのように聞き入るようでありたいですね。


 十字架刑での処刑を受け、
死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活され、
天の父である神の右の座に復帰されたイエスから派遣されて
私たちに来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方は、
【父である神】の御思いを
私たちの心に書きしるしてくださるのだそうですから。
今日も。

 

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