風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

尽きることのない豊かさの中へ

主が
エリヤによって告げられた御言葉の通り、
かめの粉は尽きることなく、
つぼの油もなくならなかった。
列王記上17:16

エスは五つのパンと二匹の魚を取り、
天を仰いで賛美の祈りを唱え、
パンを裂いて、
弟子たちに渡して配らせ、
二匹の魚も皆に分配された。
すべての人が食べて満腹した。
マルコ6:41~42

 

 使徒17:(16)22~34
 フィレモン書1~25(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/10;水)

 

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)の御思いを受けて、
テイシュベ人エリヤは、
イスラエル王国の王、アハブに言ったのだそうです。

 「私が仕えているイスラエルの神、【主】は生きておられる。
私のことばによるのでなければ、
ここ数年の間、露も降らず、雨も降らない。」

 そして、その言葉のとおりに雨が降らず、
川の水もかれてしまう状態だったそうです。

 

 すると、天の神、【主】はエリヤに言われたのですね。
「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。
見よ。わたしはそこの一人のやもめに命じて、
あなたを養うようにしている。」


 それで、エリヤがツァレファテに出て行き、町の門に着くと、
ちょうどそこに、たきぎを拾い集めている一人のやもめがいて、
かめの中に残っている一握りの粉と、つぼの中に残っている、ほんの少しの油でパンを作り、それを食べて、
あとは、飢え死にするのを待つばかりだというのですね。

 そのやもめに対して、エリヤは言いました。
「恐れてはいけません。
行って、あなたが言ったようにしなさい。
しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、
私のところに持って来なさい。
その後で、あなたとあなたの子どものために作りなさい。
イスラエルの神、【主】がこう言われるからです。
『【主】が地の上に雨を降らせる日まで、
そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。」

 彼女は行って、エリヤの言葉のとおりにした。
すると、エリヤを通して言われた【主】の言葉のとおりに、
かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならないで、
彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた、
のだそうです。

 

 

 あるとき、イエスは、弟子たちとだけで舟に乗り、
寂しいところへ行かれたのだそうです。
すると、それと気づいた大勢の群衆が徒歩で駆け付け、
彼らよりも先に着いたので、
エスは舟から上がって、大勢の群衆をご覧になり、
彼らが羊飼いのいない羊の群れのようであったので、
深くあわれみ、多くのことを教えられたのだそうです。

 

 そのうちに、遅い時刻になってしまったので、
彼らを空腹のまま帰らせるのはかわいそうに思い、
人々を組みに分けて青草の上に座らせ、
たまたま、手元にあった五つのパンと二匹の魚を取り、
天を見上げて神をほめたたえ、
パンを裂いて人々に配るよう弟子たちにお与えになり、
魚も同じようにされたので、人々は食べて満腹した。
人々は、男だけで5千人ほどいたのだそうですが。

 


 パウロは、アテネのアレオパゴスに連れていかれたとき、
人々に言ったのだそうです。
「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、
天地の主ですから、手で造られた宮にお住みにはなりません。
また、何かが足りないかのように、
人の手によって仕えられる必要もありません。
神ご自身がすべての人に、
いのちと息と万物を与えておられるのですから。

 

 神は一人の人からあらゆる民を造り出して、
地の前面に住まわせ、
それぞれに決められた時代と、
住まいの境をお定めになりました。

 

 それは、神を求めさせるためです。
もし人が手探てさぐりで求めることがあれば、
神を見いだすこともありましょう。
確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。『私たちは神の中に生き、動き、存在している』のです。

 

 だから、神である方を
人間の考えで造ったものと同じであると、
考えるべきではありません。

 

 神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、
今はどこででも、すべての人に、
ご自身に立ち返るよう求めておられます。

 

 なぜなら、神は日を定めて、
お立てになった一人の方により、
義をもって世界をさばこうとしておられるからです。
 

 神はこの方、イエスを死者の中からよみがえらせて、
そのことの動かぬ証拠とされたのです」、と。(使徒17:16、22~34) 

 

 神は、私たち人間を造られ、存在させておられる方ですから、
私たちに何でもすることができる方です。

 

 しかし、神は言われます。
「わたしは、あなたに命じることができる立場にありますが、
むしろ愛のゆえに懇願します。

 あなたの同意なしには何も行いたくありません。
あなたが強いられてするのではなく、
自発的にしてほしいからです。」(ピレモン8~9、14)

 

 この方は、私たちに、
首に縄を付けて、無理やり連れ帰るのではなく、
私たちが、愛の心で、
自発的に帰って来ることを願っていてくださるようですね。

 

 そして、尽きることのない
ご自身の豊かさを体験するようにと。
今日も。

 

 

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