イエスの言葉、御思いの中で生きる者にと
あなたの神なる主が、旅路を導かれたとき、
あなたがたが主を捨てたので、
このことがあなたがたの身に
及んだのではないか。エレミヤ書2:17
わたしの言葉にとどまるならば、
あなたたちは
本当にわたしの弟子である。ヨハネ8:31
Ⅱコリント1:23~2:4
列王記上3:16~26(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句6/16;火)
イスラエルの民が、神の御思いを求めず、
自分の思い、自分の理性の善悪の判断に従って、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)を捨て、
他の神々を求めて行ったので、これらの災いがあなたがたの身に及んだと、この方は言われるのですね。
イエスは言われます。
本当にわたしの弟子であるならば、
わたしのことば、わたしの思いにとどまるはずだと。
パウロは、コリントの教会で問題が起こったとき、
パウロ自身がすぐにコリントに行って、
使徒として、支配的、強権的に問題を解決するのでなく、
神の御思いに従って、手紙を書き、
コリントの人たち自身で自発的に問題を解決するように
していったのだそうです。(Ⅱコリント1:23~2:4)
イスラエルの王になったばかりのソロモンも、
神から来た知恵によって民を裁いて行ったようです。
二人だけで一緒に住んでいた女性が、
それぞれ子どもを産み、
その片方が、夜、自分の子の上に伏して死なせてしまい、
もう一人の女性の子と取り換えてしまったという、
生きている赤ん坊がどちらの母親の子なのかという、
証言する者もなく、何の証拠もない訴えを、
神の知恵で解決したのだそうですから。(Ⅰ列王3:16~28)
イエスが、私たちの身代わりとなり、
十字架刑での処刑を受けてくださって、墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されている今は、
そのイエスを通して私たちに来られる、
【聖である霊】と呼ばれる方が私たちの心に
【父である神】の御思いを置いてくださるのだそうですから、
私たちにも、自分の理性による善悪の判断は、
死んでしまった者から出て来た思いであると認めて、
イエスの御前に差し出しながら、
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】の御思いで生きることができるように
してくださっているのだそうですから。
パウロやソロモンのように。
今日も。
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