風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

どんな時にも、いつでも、この方の御前に出て

人の子は、

失われたものを捜して救うために
来たのである。
ルカ19:10(6/28の週の聖句)

 

私は
絶えず主に相対しています。
詩16:8

 

(すき)に手をかけてから
後ろを振り向く者は、
神の国にふさわしくない。
ルカ9:62

 

 ルカ15:1~3、11b~32
 詩106:1~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/28;Ⅳ日曜)

 【御子である神】が、
天の栄光の座を後にして、人間となり、
人間の世界に来られたのは、
正しい者、立派な者、
自分でちゃんとやっていける者を招くためではなく、
 

失われた者、行き悩んでいる者を探し出して救うため、
だったのですね。

 

 野原で、群れから迷い出た羊の一匹を探し回り、
見つけたら肩に乗せて帰り、
近所の人を集めて大喜びする羊飼いのように。

 

 また、父親に、自分の相続分の生前贈与を迫り、
それを金に換えて家を出て行ってしまった息子の帰りを、
今日か、今日かと待ち、
遠い町で放蕩して、財産を使い果たし、
落ちぶれて帰ってきた息子を見つけると
走り寄って抱きしめ、
祝いの宴会を始めた父親のように。(ルカ15:1~3、11b~32)

 

 それで、私たちも、
自分でちゃんとやれたときだけではなく、
失敗の場所、ダメな場所、
どんなところでも、いつでも、この方の前に出て、
この方と向き合っていることができるのですね。

 

 後ろを振り向かず、
過ぎ去ったことに心を向けず、
前におられる方がどのようにされるかを期待して。

 

 エジプトを出てからも、
ことあるごとにつぶやき、
逆らうイスラエルの民(詩篇106:6~23)、

 

 そして自分のところに来られた救い主を
十字架につけるこの民を、
この方はなお、見捨てず、捜し出し、
救ってくださるのだそうですから。

 

 私たちにも。
この新しい週も。

 

 

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