風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

言われたとおりに、驚くべき御業をなさって

主は再び、驚くべき業を重ねて、
この民を驚かす。
賢者の知恵は滅び、
聡明な者の分別は隠される。
イザヤ書29:14

 

多くの人々はイエスの教えを聞いて、
驚いて言った。
「この人は、
このようなことをどこから得たのだろう。
この人が授かった知恵と、
その手で行われるこのような奇跡は
いったい何か。」
マルコ6:2

 マルコ11:(20、21)22~26
 列王記上17:7~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/8;水)

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は言われます。
「この民は口先でわたしに近づき、
唇でわたしを敬いながら、
その心がわたしから遠く離れている。
彼らがわたしを恐れるのは、
人間の命令を教え込まれてのことである。


 それゆえ、見よ。わたしはこの民に再び、
不思議なこと、驚くべきことをする。
この民の知恵ある者の知恵は滅び、
悟りのある者の悟りは隠される」と。

 

 

エスが、公生涯、
キリスト(救い主)としての活動を始められた頃のこと、
郷里のナザレに行かれ、
安息日に会堂で教え始められたのだそうです。
すると、それを聞いた多くの人々が驚いて言った。
「この人は、こういうことをどこから得たのだろう。
この人に与えられた知恵や、
その手で行われるこのような力あるわざは、
いったい何なのか。
この人は大工ではないか。
マリアの子で(たぶん、父、ヨセフはなくなっていて)
ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。
その妹たちも、ここで私たちと一緒にいるではないか」と。

 

 

 その、公生涯の終わりの頃、
エスが人々の手で捕らえられ、
十字架刑で処刑される最後の一週間(受難週)のこと、
エルサレムに着き、宮に入られ、すべて見て回った後、
すでに夕方になっていたので、
12弟子たちと一緒に
ベタニヤ(あのマルタとマリアの姉妹のいる村)に出て行かれ、
そこに泊まられたのですね。

 

 翌日、ベタニアを出てエルサレムに向かわれるとき、
エスは空腹を覚えられ、
葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、
その木に何かあるかどうか見に行かれたのだそうです。

 けれども、いちじくのなる季節ではなかったので、
葉のほかには何も見つからなかった。
すると、イエスは、その木に向かって
「今後 いつまでも、だれも
おまえの実をたべることがないように」と言われたのだそうです。

 そして、その翌朝早く、
彼らが通りがかりにいちじくの木を見ると、
それは根元から枯れていた。
ペテロは思い出して、イエスに言った。
「先生、ご覧ください。
あなたがのろわれた、いちじくの木が枯れています。」

 イエスは弟子たちに答えられた。
「神を信じなさい。
まことに、あなたがたに言います。
この山に向かい、『立ち上がって、海に入れ』と言い、
心の中で疑わず、自分の言ったとおりになると信じる者には、
そのとおりになります。

 

 ですから、あなたがたに言います。
あなたがたが祈り求めるものは何でも、
すでに得たと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになります。

 また、祈るために立ち上がるとき、
だれかに対しうらんでいることがあるなら、赦しなさい。
そうすれば、天におられるあなたがたの父も、
あなたがたの過ちを赦してくださいます。」

 


 イエスは、
「わたしが天から下って来たのは、
自分の思いを行うためではなく、
わたしを遣わされた方のみこころを行うためです」(ヨハネ6:38)、
「わたしは自分からは何もせず、
父がわたしに教えられたとおりに、
これらのことを話している」(ヨハネ8:28)と仰られる方。

 

 だから、いちじくの木に
「今後いつまでも、だれもおまえの実をたべることがないように」
と言われたのも、

 また、山に向かって「立ち上がって、海に入れ」と言うのも、
私たちが勝手にそう思って、そう言う」ということではなく、
【父である神】がそう言うようにと言われるので、
ということが先にあるのでしょうね。

 

 

 預言者エリヤが、アハブ王に、
「私のことばによるのでなければ、
ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない」と言ったのも、
【父である神】がそう言うようにとエリヤをうながされたから、
なのでしょうね。

 

 雨が降らず、飢饉ききんになって、
かめに残った一握りの粉と、
つぼの中にほんの少し残っている油で
小さなパンを作り、
息子と二人でそれを分け合って食べ、
あとは飢え死にするのを待つだけ、という貧しいやもめに、

エリヤが、「恐れてはいけません。
行って、あなたが言ったようにしなさい。
しかし、まず私のためにそれで小さなパン菓子を作り、
私のところに持って来なさい。
その後で、あなたとあなたの子どものために作りなさい」
ということができたのも、
神である【主】が、
「【主】が地の上に雨を降らせる日まで、
そのかめの粉は尽きず、
そのつぼの油はなくならない」と言われたから、
なのですね。(Ⅰ列王17:17~24)

 

 そのように、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
わたしたちのためには、
人間の知恵、分別では考えられないようなことを言われ、
そして、そのことばのとおりを実行なさる方なのですね。
ご自身の「信」にかけて。

 私たちがこの方が真の神であることを体験し、
知ることができるように、と。
今日も。

 

 

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