風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神の働きかけの中で

お前たちの
悪い道や堕落した行いによることなく、
わが名のゆえに、わたしが働きかけるとき、
お前たちはわたしが主であることを
知るようになる。
エゼキエル書20:44

 

 彼(いと高き方)は、
恩を知らない者にも悪人にも、
情け深い。
ルカ6:35

 

 アモス書5:4~15
 Ⅱコリント1:12~24(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句9/8;火)

 

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちの悪い生き方、
堕落した、腐敗した行いに対して報いるのではなく、
ご自身の愛の御思いによって
私たちに対してくださるのだそうですね。

この方は、
恩知らずの者にも悪人にも
情け深い方なのだそうですから。

 

 だから、私たちも、
この方を求めて行けば生きることができるのだそうです。

 

 イエスは、私たちの身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けて死に、
墓に葬られ、
三日目に死人の中からの新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に帰られました。

 そして、そのイエスが、【父である神】の右の座にあって、
私たちに、もう一人の方、【聖である霊】と呼ばれる方を
派遣してくださるのだそうです。

 

 この、【聖である霊】と呼ばれる方は、私たちに来て、
私たちの心に、
【父である神】の御思いを置いてくださるのだそうです。

 それで、私たちの心にも
【父である神】の御思いがあるようになって、
受け入れる者を、
【父である神】と一つ思いになって生きるように
してくださるのだそうです。   ( エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)

 それで、悪い、堕落した思いばかりが出て来る私たちにも、
悪を求めず、善を求め、
正しい判断をする思いも来て(アモス5:4~15)、
自分の知恵によらず、この方から来る純真さと誠実さをもって、
この方の恵みによって行動し、
互いの喜びのために協力して働くようにも
していただけるのだそうですから。(Ⅱコリント1:12~24)

 今日も。

 

 

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すべての災いを遠ざけて、

わたしの兄弟である
この最も小さい者の一人にしたのは
わたしにしてくれたことなのである。
マタイ25:40(9/6の週の聖句)

 

主がすべての災いを遠ざけて、
あなたを見守り、
あなたの魂を見守ってくださるように。
詩121:7

 

平和の神御自身が、
あなたがたを
全く聖なる者としてくださいますように。
また、あなたがたの霊も魂もからだも
何一つ欠けたところのないものとして守り、
私たちの主イエス・キリストの来られるとき、
非のうちどころのないものと
してくださいますように。
Ⅰテサロニケ5:23

 

 ルカ10:25~37
 詩120(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句9/ 6 Ⅰ日曜)


 イエスは、
エスと心を一つにして歩む者の最も小さい者が、
空腹であったとき食べ物を与え、
渇いているときに飲ませ、
旅人であったとき宿を貸し、
裸のときに服を着せ、
病気をしたときに見舞い、
牢にいたときに訪ねることを、
ご自身にしてくれたことと思われるのだそうですね。
 

 イエスは、いつも私たちを見守り、
私たちから、すべての災いを遠ざけ、
私たちのたましいを守っていてくださるのだそうですから。
 

 そして、私たちを、
ご自分のために取り分けた者にふさわしいものとし、
霊も魂もからだも、すべてが
何一つ欠けたところのないものとしてくださり、
エスが再び来られるとき非難されたり責められることのない、
非のうちどころのないものとしてくださるのだそうです。


 イエスが受けてくださった十字架刑での処刑による死と
三日目の死人の中からの新しい霊のからだへの復活を通して
私たちに来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方は、
私たちの心に、
「心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、
私たちの神、主を愛し」、
 

また、「隣人となりひとを自分自身のように愛する」思いも
置いてくださるのだそうですから。(ルカ10:25~37)

 

 私たちが呼び求めるとき、答えてくださって。(詩篇120:1)

 この新しい週も。

 

 

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この方こそ神

知れ、
主こそ神である。
詩100:3

 

神は私たち一人一人から
遠く離れてはおられません。
「彼らは神の中に生き、動き、
存在しているのです。
使徒17:27~34

 

 マルコ9:27~34
 マルコ9:38~41(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/31;月)

 

その日が来れば、
エッサイの根は、すべての民の
旗印として立てられる。
イザヤ書11:10

 

エスが水の中から上がられるとすぐ、
天が裂けて、
”霊”が鳩のように
ご自分に降って来られるのを、ご覧になった。
すると、「あなたはわたしの愛する子、
わたしの心に適う者」という声が、
天から聞こえた。
マルコ1:10~11

 

 マルコ3:1~10(11~12)
 マルコ9:42~50(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句9/1;火)

 

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)を体験し、知ることこそ、
この人生で最大の意味のあること、価値あることのようです。

 

 この方は、私たちから遠く離れておられる方ではなく、
私たちは、この方の御思いの中で生き、動き、
存在しているのだそうですから。

 

 すべてのものがこの方から発し、
この方によって成り、
この方に至る(ロマ11:36)のだそうですから。

 

 エッサイの根から生え出た新芽、
ダビデの子孫として来られた方イエス

 

 イエスが30歳の頃、
バプテスマのヨハネから
悔い改めのバプテスマ(洗礼)を受けられ、
水の中から上がられると、天が裂け、
【聖である霊】と呼ばれる方が鳩のようにイエスに降って来られ、
そして、天から声があったのだそうです。
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者、
わたしはあなたを喜ぶ」と。

 

 イエスが、片手のえた人に
「手を伸ばしなさい」と言われると、
手を伸ばすことができるようになり、
また、多くの病人が癒され、
汚れた霊もイエスの言葉に服従して
人から出て行ったのだそうです(マルコ3:1~12)。

 

 そして、預言されていたとおりに、
「人々の手に引き渡されて十字架刑で殺され、
三日後に死人の中から
新しい霊のからだに復活されて(マルコ9:31)。

 

 そして、【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣されて、
受け入れる者をこの方によって
「塩で味つけられた」言葉で話し、
平和をもたらす者にして。(マルコ9:50)


 私たちも、日々。この方を体験しながら。
今日も。

 

 

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義と平和と喜びを頂いて

彼は傷ついた葦を折ることなく、
暗くなっていく灯心を消すこともない。
イザヤ書42:3(8/30の週の聖句)

 

正義が造り出すものは平和であり、
正義が生み出すものは、
とこしえに安らかな信頼である。
イザヤ書32:17

 

神の国は、飲み食いではなく、
聖霊によって与えられる
義と平和と喜びなのです。
ロマ書14:17

 

 マルコ7:31~37
 詩147(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/30;Ⅴ日曜)

 

 メシア、キリスト、神の子である救い主として来られる方は、
叫んだり、言い争ったりせず、
傷つき、痛んで、折れかかっている葦を、
こんなものいらない、
面倒だと折ってしまうこともなく、

 

 消えかかって、くすぶっている灯心を
消してしまうこともない方、なのだそうです。

 

 この方によって来る義は、平和をつくり出し、
とこしえの平穏と安心、
安らかな信頼をつくり出してくださるのだそうですから。

 

 それで私たちも、
食べたり飲んだりすることで人を裁いたり、
つまずかせたりすることがないようになるのですね。

 

 飲み食いのことよりも、
【聖である霊】と呼ばれる方によって来る
義と平和と喜びのほうが大切になって。

 

 

 また、この方は、
耳の聞こえない人たちを聞こえるようにし、
口のきけない人たちを話せるようにしてくださる方。(マルコ7:31~37)

 心の打ち砕かれた者をいやし、
彼らの傷を包まれる方。
地のために雨を備え、
山々に草を生えさせ、
獣に、また、鳴く烏の子に
食物を与えてくださる方なのだそうですから。(詩篇147:3、8~9)

 

 私たちにも。
この新しい週も。

 

 

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のどもと過ぎると、熱さを忘れて

ヒゼキヤは病にかかり死にそうになった。
彼が主に祈ったので
主は彼にしるしを与えられた。
しかしヒゼキヤは恩恵にふさわしく応えず、
思い上がった。
歴代誌下32:24~25

 

癒された者の一人は
自分がいやされたのを知って、
大声で神を賛美しながら戻って来た。
そして、イエスの足もとにひれ伏して
感謝した。
ルカ17;15~16

 

 イザヤ書26:1~6
 マルコ9:30~37(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/29;土)


 私たち、病気の時とか困難に直面した時など、
神に熱心に祈ります。
けれども、その病気が治ったり、困難を通り過ぎると、
心のどこかには、自然に治ったかのように、
あるいは、何でもなく通り過ぎられたように思う思いがあって、
神を忘れてしまうところがあります。


 南ユダ王国の王、ヒゼキヤも、病気になったとき、
神は、ヒゼキヤに預言者イザヤを遣わして、
「あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。治らない」
と伝えたのだそうです。

 

 そのとき、ヒゼキヤは、顔を壁に向け、
「ああ、【主】よ。どうか思い出してください。
私が真実と全き心をもって、あなたの御前に歩み、
あなたの御目にかなうことを行ってきたことを」と大声で泣いて、
神に申し上げたのだそうです。

 

 それで、神は、ヒゼキヤのもとにイザヤを遣わして、
「わたしはあなたの祈りを聞いた。
あなたの涙も見た。
見よ。わたしはあなたをいやす。
わたしは、あなたの寿命にもう15年を加える。
わたしはアッシリアの王の手から、あなたとこの都を救い出し、
わたしのために、わたしのしもべダビデのためにこの都を守る」
とおっしゃられ、
そのようにされたのだそうです。

 

 けれども、ヒゼキヤは、病気が治ると

その恩恵にふさわしく応えず、思い上がったのですね。

 


 イエスエルサレムに向かう途中、
ある村に入られたのだそうです。
すると、ツァラート(ハンセン病のような)におかされた人10人が
エスを出迎え、遠く離れた所に立ち、声を張り上げて、
「イエス様、先生、私たちをあわれんでください」と言った。
 

 イエスはこれを見て彼らに言われた。
「行って、自分のからだを祭司に見せなさい。」
ツァラートは、伝染病なので、
人々から離れていなければなりませんでした。
これが治ったときには、祭司にからだを見せて、
きよめの儀式をしてもらい、きよいと宣言してもらって
人々の中に帰ることができた。) 

 

 彼らは祭司のところへ行く途中で
自分がいやされたことが分かったのですね。
そのうちの一人は、
大声で神をほめたたえながら引き返して来て、
エスの足もとにひれ伏して感謝した。

 

 すると、イエスは言われた。
「10人きよめられたのではなかったか。
9人はどこにいるのか。
この他国人のほかに、
神をあがめるために戻って来た者はいなかったのか。」

 

 それからイエスはその人に言われた。
「立ち上がって行きなさい。
あなたの信頼があなたを救ったのです。」

 

 

 私たちにも、ヒゼキヤ王や
この,

残りの9人のユダヤ人のようなところがあるのですね。

 

 【父である神】は、そういう心根でしかない
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑と
合体させてくださって、
処刑が終わったもの、死んだものとしてくださるのだそうです。

 

 そして、墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して、
もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣してくださり、
この方によってご自身の御思いを私たちの心に置いてくださり、
私たちの心にご自身の御思いがあるように
してくださるのだそうです。(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)

 

 「いつまでも【主】に信頼せよ。
ヤハ、【主】はとこしえの岩だから」(イザヤ26:4)という思いも。

 

 いつも、誰が一番偉いかということが気になっていた
12弟子たちのような私たちの心にも、
「みんなの先頭に立ちたいと思う者は、皆の後になり、
皆に仕える人になる」、

「小さな子どものように、えらいことは何もできない者も
エスの名のゆえに受け入れる」(マルコ9:30~37)、
そのような思いも。

今日も。

 

 

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渇いている人は、わたしに来て飲みなさい、と

神よ、
あなたは私の神。
私はあなたを探し求め、
私の魂はあなたを渇き求めます。
詩63:2

 

エスの言葉:
渇いている人はだれでも、
わたしのところに来て飲みなさい。
ヨハネ7:37

 

 ルカ22:54~62
 マルコ9:14~29(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/28;金)

 

 心、霊の貧しい者、
自分の〔生まれたときからの私〕という霊からは、
神の創造の目的からはズレた、
「的外れ」の思いしか出て来ないことを知っている者。

 

 パウロが言うように、
自分がしたい善は行うことができず、
自分がしたくない悪は行ってしまう者であることを知った者。

 

 そのような人は、神を渇き求めるのだそうです。
そして、イエスは、
その渇きで渇いている人は、私のところに来なさい、
と言っていてくださるのですね。
その渇きをいやしてあげるから、と。

 

 批判したり、責めたりするのではなく。
エスが捕らえられた時、大祭司の庭で、
三度もイエスを知らないと言ったペテロを
振り返って見つめられたやさしい目で(ルカ22:54~62)。

 

 口を聞けなくし、所かまわず倒して、
泡を吹き、歯ぎしりして、
からだをこわばらせる息子を持つ父親。

 

 イエスに、「あなたのお弟子たちに、
その霊を追い出してくださいとお願いしたのですが、
できませんでした。
もし、おできになるなら、
私たちをあわれんでお助けください」と言うしかない父親。

 

 イエスは、その父親の不信仰を責められることなく、
そのけがれた霊を叱って、
「口を聞けなくし、耳を聞こえなくする霊、
わたしがおまえに命じる。
この子から出て行け。
二度とこの子に入るな」と命じられ、
その子をいやしてくださったのだそうですから。(マルコ9:14~29)

 

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行く先々で、私たちを守って

私たちの神、主は、
行く先々で、
通ってきたすべての民の中で、
私たちを守ってくださった方です。
ヨシュア記24:17

 

エスの言葉:
わたしは世の終わりまで、
いつもあなたがたと共にいる。
マタイ28:20

 

 Ⅰペトロ5:1~5
 マルコ9:2~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/27;木)
 私たちの神、【主】、
「わたしはある」という者と名乗られる方は、
今まで、私たちの通ってきた道で、
また、これから行く先々で私たちを守ってくださる方。

 

 イエスは、私たち、すべての人間の
「的外れ」の責任をご自身の身に負って、
私たちの身代わりとなり、
十字架刑での処刑を受けてくださいました。
 

 そして、墓に葬られたイエスは、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活されました。(マルコ9:9)

 

 そして、40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。

 

 そして、イエスご自身に代わって、
もう一人の方、【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちに派遣してくださいます。

 

 この方が、世の終わりまで、
いつも私たちと一緒にいてくださるように、と。

 

 そして、今は、
天の、【父である神】の右の座に着いていらっしゃる、
この、大牧者であるイエスが再び現れるとき、
私たちも、
しぼむことのない栄光の冠を与えていただけるのですね。

 

 だから、そのときを望み見ながら、
今、長老の立場にいる人は、
【父である神】の御思いのとおりに、
自発的に、心を込めて、羊の群れの世話をし、
若い人は、
その長老たちによく従っていくのですね。(Ⅰペテロ5:1~5)

 

 私たちも、このイエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
心に【父である神】の御思いを置いていただき、
【父である神】と思いを一つにして生きるように
していただけるのだそうですから。

今日も。

 

 

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