風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神が自分のものとして、名前を呼んでくださるのだそうですから

 

恐れるな、
わたしはあなたを贖
(あがな)う。
あなたはわたしのもの、
わたしはあなたの名を呼ぶ。
イザヤ書43:1

 

もし神が私の味方であるならば、
だれが私たちに敵対できますか。
ロマ書8:31

 

 ルカ24:36~47
 コロサイ書1:15~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/ 9;金)

 


 私たちを創造してくださった方、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が言われるのですね。
「恐れるな。
わたしがあなたを贖(あがな)ったからだ。
わたしはあなたの名を呼んだ。
あなたはわたしのもの。
あなたが水の中を過ぎるときも、
わたしはあなたとともにいる。
川を渡るときもあなたは押し流されず、
火の中を歩いても、あなたは焼かれず、
炎はあなたに燃えつかない」と。

 

 それで、パウロは言います。
「神が私たちの味方であるなら、
だれが私たちに敵対できるでしょうか。
私たちすべてのために、
ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、
どうして、御子とともにすべてのものを私たちに
恵んでくださらないことがあるでしょうか」と。

 

 

 イエスが、【父である神】の御思いを受け、
私たちすべての人間の身代わりとなって、私たちに代わって、
神に背き、神に呪われた者となって
十字架刑での処刑を受けてくださった今は、

 

そして、死んで墓に納められたイエスが、
その三日目の日曜日の朝、
新しい霊のからだに復活され(ルカ24:36~48)、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
天の、【父である神】の右の座に復帰された今は、

 

そして、そのイエスを通して
【父である神】が約束されていた
【聖である霊】と呼ばれる方が私たちに来てくださり、
私たちがいと高き所からの力を着せられるように
なっている今は(ルカ24:49)、

 

私たちは、自分の
〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いは、
エスの十字架刑での処刑に合体されて
死んだ者から出て来た思いであると認めて(ロマ6:11)、
エスの御前に差し出し、見ていただき、
受け取っていただきながら生きるのですね。

 

 そして、この方、【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
うちに【父である神】の御思いがあるようにしていただき、
エスがそうであったように
(ヨハネ6:38、8:28、14:10、16:13~14)、
自分の思いが実現することではなく、
【父である神】の御思いが実行されることを願いながら
生きる者としていただけるのだそうですから。(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)

 

 イエスによって神と和解し、
神の側につく者としていただいて。(コロサイ1:19~23)

神から名を呼んでいただきながら。
今日も。

 

 

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神から隠れ、身を隠す者を

主なる神はアダムを
「どこにいるのか」と呼んだ。
彼は「あなたの足音が
園の中に聞こえたので、恐ろしくなり
隠れております。
私は裸ですから」と答えた。
創世記3:9~10

 

神の前にあらわでない被造物はなく、
すべてのものは神の目に裸であり、
逃れることはできません。
私たちはこの神に
弁明しなければなりません。
ヘブル書4:13

 

 ヨハネ21:1~14
 コロサイ書:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/8;木)

 

 

 聖書が啓示している神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
「さあ、人をわれわれのかたちとして、
われわれの似姿に造ろう」と仰せられて、
人を造られたのだそうです。(創世記1:26)

 

 「われわれのかたち、われわれの似姿」。
【父である神】、【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神が、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
互いに愛し合うゆえに、
自由意思で、自発的に互いに相手のことを思い合い、
自分の思いが成ることではなく、
相手の思いが成ることを願っておられる(ヨハネ6:38、8:28、14:10、16:13~14)、
その愛し合いの中へ、
自由意思で、自発的に加わる者を、と願われて。

 

 

 その時、一つの心配事について
話し合いがあったのでしょうね。
その、造った人間が、与えられた自由意思でもって、
自分たちと心を一つにしていく方向ではなく、
別のものを求めて行ったらどうしようか、と。

 

 そのとき、【御子である神】が言われたのでしょうね。
「その時は、わたしが人となって人の世に降り、
その責任を負いましょう」、と。

 

 それで【聖である霊】と呼ばれる神が言われました。
「そうすれば、わたしが人のところに行ってともに住み、
人の心に【父である神】の御思いを置き、
人の心に【父である神】の御思いがあるようにし、
受け入れる者が【父である神】と思いを一つにして
生きられるようにしましょう」、と。

 

 そして、いよいよ、「さあ、人を造ろう」ということに
なったということのようです。

 


 そしてその予想のとおり、
神に造られた最初の人、アダムとエバは、
その神との一つの中にとどまることを良しとせず、
「もっと素晴らしい者に、神のようになろう」として、
「神の一人のようになり、善悪を知る者」になる道を
選び取ったのだそうです。

神に対立、対抗し、神と向こうを張る者となる生き方を。

 

 神の創造の目的から大きく外れた「的外れ」な者へと。(創世記3:1~24)

 


 それで、アダムとエバは、神が自分たちを
捜しまわっておられる音を聞いて、
園の木の間に身を隠したのだそうです。

自分の裸を見られるのを恐れて。

 

 それ以来、アダムとエバの子孫である私たち人間は、
神から身を隠し、言の葉で身を包んで、
自分の本心を隠しなら生きる者となっているのだそうです。


 けれども、私たちがどんなに隠しても、
神の目にはあらわでない被造物はなく、
すべてが裸で、さらけ出されているのだそうです。

 

 そして、私たちはこの方の御前で、
自分の人生の総決算をすることになるのだそうです。
自分を弁明しなければならないときが。

 

 私たちすべての人間の身代わりとなり、
神に背いた者、神に呪われた者となって
十字架刑での処刑を受け、
死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度の弟子たちに現れ(ヨハネ21~1~14)、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰されたイエス

 

 そして、そのイエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方と
どのような関係をもって生きて来たかの
申し開きをしなければならないときが。

 

 

 【父である神】は、私たちを
【御子である神】、イエスのいのちによって贖(あがな)って、
「的外れ」の責任が果たされた者とし、
暗闇の世界、自分を隠していく世界から救い出して、
愛する御子の支配下に移し、
聖徒の相続分にあずかる資格を
与えてくださっているのだそうですから。

 

 私たちが、あらゆる霊的な知恵と理解力によって、
神の御心についての知識に満たされ、
主イエスにふさわしく歩み、
あらゆる点で主に喜ばれ、
あらゆるよいわざのうちに実を結び、
神を知ることにおいて成長し、
神の栄光の支配により、あらゆる力をもって強くされ、
どんなことにも忍耐し、
寛容でいられるように、と。(コロサイ1:9~14)

 今日も。

 

 

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呪う者を祝福し、侮辱する者を執り成して 

彼は多くの人の過ちを担い、
背いた者のために執り成しをする。
イザヤ書53:12

 

エスは言われる:
悪口を言う者に祝福を祈り、
あなたがたを侮辱する者のために
祈りなさい。
ルカ6:28

 

 ヨハネ20:11~18
 ルカ24:50~53(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/7;水)

 


 【御子である神】は、
天の、栄光の座をあとにして人となって人の世に降り、
私たちの過ち、「的外れ」の責任をご自分の身に負って
十字架刑での死刑を受けてくださり、
神に背いた私たちのために
執り成しをしていてくださるのだそうです。

 

 それで私たちは、安心して、このままで
【父である神】の御前に出ることができます。

 

 そして、このイエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方は、
私たちの心にも、そのイエスと同じ思いを置いてくださるので、
私たちの心にも、悪口を言う者を祝福し、
侮辱する者のために執り成しの祈りをする思いがあるようにも
なるのだそうです。

 

 

 イエスは、木曜日の夜中に捕らえられ、
金曜日の明け方にかけて
ユダヤ最高議会の裁判にかけられ、

金曜日の早朝、ローマ総督ピラトの裁判によって
十字架刑での処刑が決定し、
処刑場であるゴルゴダ(どくろ)の丘まで
十字架をかついで行かされ、
午前9時頃、十字架につけられたのだそうです。

 

 そして、午後3時頃、「完了した」と言われて
息を引き取られました。

 

 日没から安息日が始まるので、急遽、近くにあった
アリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に
納められたのだそうです。

 

 それで、次の日曜日の早朝、
マグダラのマリアと数人の女性たちが
エスのからだに香料を塗ろうと墓に出かけたのですが、
エスのからだがなく、
マリアは墓の外にたたずんで泣いていたのだそうです。

 

 その時、新しい霊のからだに復活したイエス
墓に向かって泣いているマリアに、後ろから
「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか」と
声をかけられたのだそうです。

 

 マリアは園の番人だろうと思い、
「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、
どこに置いたか教えてください。
私が引き取ります」と言うと、
エスが「マリア」と呼ばれ、マリアは、それが
エスだと分かったというのですね。(ヨハネ20:11~18)

 

 

 新しい霊のからだに復活されたイエスは、
その後、40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、弟子たちをオリーブ山の
ベタニヤの近くまで連れて行き、
手を上げて弟子たちを祝福しながら
天に上げられたのだそうです。

 

 「わたしは、わたしの父が約束されたものを
あなたがたに送ります。
あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、
都にとどまっていなさい」と言い残して。(ルカ24:49~51)

 

 それから10日後のペンテコステ(五旬節)の祭りの日に、
祈り待ち望んでいた弟子たちのところに、
その、約束の【聖である霊】と呼ばれる方が来られて、
弟子たちは
この方が語らせられるままに話し出したのだそうです。
この方が弟子たちの心に置かれる【父である神】の御思いを
御思いのとおりに。
 

 私たちも、このイエスに、過ち、背きを担っていただき、
執り成しの中に置いていただきながら、
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
【父である神】が私を通してしようと思われることを
していく者にしていただけるのだそうです。

 

 イエスと同じように、悪口を言う者を祝福し、
侮辱する者のために祈る思いにも。

今日も。

 

 

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苦しみを受けて、その栄光に入ると預言されていた方が

町に災いが起こったなら、それは
主がなされたことではないか。
アモス書3:6

 

メシアはこういう苦しみを受けて、
栄光にはいるはずだったではないか。
ルカ24:26

 

 イザヤ書25:6~9
 ルカ24:13~35(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/5;月)

 

神は卑しめられている者を高く引き上げ、
嘆く者を安全な環境に
引き上げてくださる。
ヨブ記5:11

 

私たちの主イエス・キリスト
父である神、慈愛に満ちた父、
慰めを豊かにくださる神が
ほめたたえられますように。
神はあらゆる苦難に際して
私たちを慰めてくださいます。
Ⅱコリント1~3~4

 

 ヨハネ20:1~10
 ルカ24:36~49(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』4/6;火)

 

 

 聖書が啓示している天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
ご自分の計画を、
そのしもべである預言者たちに示さずには、
何事もなさらない方、
預言者を通して民に知らせてからでないと、
何事もなさらない方、のようです。

 

 町にわざわいや騒ぎが起こることも前もって知らせ、
それが、ご自身によって起こったことだと
分かるようにされて。(アモス3:3~8)

 

 今からおよそ2000年ほど前のあの時も、
世界中に離散しているユダヤ人が、
世界中からエルサレムに帰って来る、
その過越しの祭りのまっさい中に、
エルサレム中が大騒ぎになるような出来事が
起こったのだそうです。

 

 「エルサレムに滞在していながら、近ごろそこで起こったことを、あなただけがご存じないのですか」(ルカ24:18)と
言われるような出来事が。

 

 しかも、それは、たまたま起こったのではなく、
人類の始まりのアダムの時以来、語り継がれ、
1500年、文書になって読み続けられて来たそのことが。

 

 「キリストは、必ずそのような苦しみを受け、
それから、その栄光に入る」という、そのことが。

 

 

 イエスの弟子の一人のクレオパが説明して言います。
「それは、ナザレ人イエスのことです。
この方は、神と民全体の前で、
行いにもことばにも力のある預言者でした。
それなのに、私たちの祭司長たちや議員たちは、
この方を死刑にするために引き渡して、
十字架につけてしまいました。
私たちはこの方こそイスラエルを解放する方だ、と
望みをかけていました。

 

 実際、そればかりではありません。
そのことがあってから、三日目になりますが、
仲間の女たちの何人かが、私たちを驚かせました。
彼女たちは朝早く墓に行きましたが、
エス様のからだが見当たらず、戻って来ました。
そして、自分たちは御使いたちの幻を見た。
彼らはイエス様が生きておられると告げた、というのです。
それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、
まさしく彼女たちの言ったとおりで、
あの方は見当たりませんでした」、と。(ルカ24:19~24、ヨハネ20:1~10)

 

 【父である神】は、この、旧約聖書で預言してこられたことを、
その言葉のとおりに実現なさったのだそうです。
言われているとおりに。

 

 

 さらに神は、イザヤを通して預言しておられます。
「万軍の主は、この山の上で万民のために、宴会を開かれる。
この山の上で、万民の上をおおうベールを、
万国の上にかぶさる覆(おお)いを取り除き、
永久に死を呑み込まれる。
【神】である主は、すべての顔から涙をぬぐい取り、
全地の上からご自分の民の恥辱を取り除かれる。
【主】がそう語られたのだ。
 

その日、人は言う。
『見よ、この方こそ、待ち望んでいた私たちの神、
私たちを救ってくださる。
この方こそ、私たちが待ち望んでいた【主】。
その御救いを楽しみ喜ぼう。』」(イザヤ25:6~9)

 


 神は、卑しめられている者、低い者を高く上げ、
嘆き悲しむ者を安全な環境に引き上げてくださる方。
慈愛に満ち、あらゆる苦難に際して、
私たちを豊かに慰めてくださる方。

 

 約束のとおりに
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣し、
この方によって、私たちに
いと高き所からの力を着せ(ルカ24:49)、
【父である神】と思いを一つにして生きる者ともして。

今日も。

 

 

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一度死に、復活して世々限りなく生きておられる方とともに

キリスト言われる:
わたしは一度死んだが、
見よ、世々限りなく生きて
死と黄泉の鍵を持っている。
黙示録1:18(4/4の週の聖句)

 
主は言われた:
わたしが自ら同行し、
あなたに安息を与えよう。
出エジプト33:14

 

エスは言われる:
わたしが生きているので、
あなたがたも生きることになる。
ヨハネ14:19

 

 Ⅰコリント15:1~11
 ルカ24:1~12(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/4;Ⅰ日曜、復活祭)

 


 十字架刑による処刑を受け、
死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活したイエスが言われるのですね。
「わたしは、死んだが、見よ、世々限りなく生きている。
また、死と黄泉の鍵を持っている」と。

 

 この方が、私たちの人生の歩みに同行してくださり、
安息を与えてくださると言われる。

 

 【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣し、
この方によって私たちを、
【父である神】と心を一つにして生きる者、
新しい生き方を生きる者にして。

 


 2000年前、イエスの弟子たちの集まりが
ローマ帝国地中海世界に広まって行ったとき、
その弟子の中にも、死者の復活などない、
エスが復活されたなどということはないという人たちが
いたようですね。

 

 それで、パウロは言います。
「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、
私も受けたことであって、次のことです。
 

キリストは、聖書(旧約聖書)に書いてあるとおりに、
私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、
また、聖書に書いてあるとおりに、
三日目によみがえられたこと、
また、ケファ(ペテロ)に現れ、
それから12弟子に現れたことです。

 

 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに
同時に現れました。
その中にはすでに眠った人も何人かいますが、
大多数は今なお生き残っています。

 

 その後、キリストはヤコブ
(12使徒ヤコブではなく、イエスの弟のヤコブに現れ、
それからすべての使徒たちに現れました。
そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも
現れてくださいました。」(Ⅰコリント15:3~8)と。

 

 

 イエスが十字架につけられ、死んで墓に納められた
次の日曜日の朝のことを、
ルカは次のような記事にしています。

 

 「週の初めの日の明け方早く、
彼女たち(マグダラのマリアヤコブの母マリアとサロメ)は、
準備しておいた香料を持って墓に来た。
見ると、墓の穴のふたをしている非常に大きな石が
墓からわきに転がされていた。
そこで中に入ると主イエスのからだは見当たらなかった。
 

そのため途方に暮れていると、
見よ、まばゆいばかりの衣を着た人が二人、近くに来た。
彼女たちは恐ろしくなって、地面に顔を伏せた。

 

すると、その人たちはこう言った。
「あなたがたは、どうして生きている方を
死人の中に捜すのですか。
ここにはおられません。よみがえられたのです。
 

まだガリラヤにおられたころ、
主がお話しになったことを思い出しなさい。
人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、
十字架につけられ、
三日目によみがえると言われたでしょう。」

 

 彼女たちはイエスのことばを思い出した。
そして、墓から戻って、11人とほかの人たち全員に、
これらのことをすべて報告した。
それは、マグダラのマリア、ヨハンナ、ヤコブの母マリア、
そして彼女たちとともにいた、ほかの女たちであった。

 

 彼女たちはこれらのことを使徒たちに話したが、
この話しはたわごとのように思えたので、
使徒たちは彼女たちを信じなかった。

 

 しかし、ペテロは立ち上がり、走って墓に行った。
そして、かがんでのぞき込むと、亜麻布だけが見えた。
それで、この出来事に驚きながら
自分のところに帰った。」(ルカ24:1~12)

 

 

 今日は、教会では「復活祭」、
その、イエスが復活された日曜日の朝を記念した
礼拝がもたれます。
 

 十字架刑での処刑を受け、死んで墓に葬られ、
この日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
ご自分が確かに生きていることを見せ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰なさったイエス

 

 そのイエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方。
この方によって、私たちは、
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
うちに【父である神】の御思いがあるようにしていただきながら、【父である神】と一つ思いの歩みへと。
 

神とともに歩む歩みを。

この新しい週も。

 

 

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正しい方が、正しくない私たちに代わって苦しまれて

主はあなたの国境に平和を置く。詩147:14

 

キリストは
私たちの平和であります。
エフェソ書2:14

 

 イザヤ書52:13~15、53:1~12
 ルカ23:32~49(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/2;金)

 

この方は主で私たちの神。
全地にわたって裁かれる。
詩105:7

 

キリストは、罪のために
ただ一度苦しまれました。
正しい方が、正しくないもののために
苦しまれたのです。
あなたがたを
神のもとへ導くためです。
Ⅰペトロ3:18

 

 Ⅰペンテコステ:18~22
 ルカ23:50~56(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/3;土)

 


 私たちは、聖書が啓示している天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)に対して、敵対し、
対立、対抗する者です。

 

 けれどもこの方は、私たちと
平和な関係になろうと願っていてくださるのだそうです。

 


 この方は、全地を裁かれる方。
私たちは、さばき主として御座に着いておられる方に
十字架で処刑された傷跡を、
槍で突き刺された傷跡を見ることになるのだそうです。

 

 

 イエスが生まれる700年ほど前、
天の神、【主】は、イザヤを通して
エスのことを預言して言われました。

 

「彼は、砂漠の地から出た根のように、
見るべき姿も輝きもなく、
私たちが慕うような見栄えもない。
彼は蔑(さげす)まれ、人々からのけ者にされ、
悲しみの人で、病を知っていた。
人が顔を背(そむ)けるほど蔑(さげす)まれ、
私たちも彼を尊ばなかった。

まことに、彼は私たちの病を負い、
私たちの痛みを担った。


それなのに私たちは思った。
神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は私たちの背きのために刺され、
私たちの咎(とが)のために砕かれたのだ。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。
私たちはみな、羊のようにさまよい、
それぞれ自分勝手な道に向かって行った。
しかし、【主】は私たちすべての者の咎を
彼に負わせた。

彼は痛めつけられ、苦しんだ。
だが、彼は口を開かない。
(ほふ)り場に引かれて行く羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
彼は口を開かない。
(しいた)げとさばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことか。
彼は私の民の背(そむ)きのゆえに打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。
彼の墓は、悪者どもとともに、
富む者とともに、その死の時に設けられた。
彼は不法を働かず、
その口に欺(あざむ)きはなかったが。」(イザヤ53:2~9)

 


 そして、イエスは、その預言のとおりに、
エルサレム城外の「ゴルゴダ(どくろ)」と呼ばれる場所で、
その年の過越しの祭りの金曜日の午前9時頃、
二人の犯罪人とともに十字架に架けられ、
午後3時頃、「完了した」と、
また、【父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と言われて
息を引き取られ、
近くにあった墓、
アリマタヤのヨセフが自分のために掘ってあった墓に
納められたのだそうです。(ルカ23:32~56)

 

 正しい方が、
正しくない私たちの身代わりの死を死んでくださって。


このイエスの死によって、私たちも神との平和の中へと。

今日も

 

 

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世界中からの人々が見守る中を

なぜ、あなたは神と争うのか、
自分の言葉に
神が答えないからと言って。
神は一度語り、また再び語るが、
人はそれに気付かない。
ヨブ記33:13~14

 

主イエスは大祭司に
「わたしは世に公然と話し、
会堂や神殿の境内で教え、
隠れて何も語っていない。
わたしが何を話したかは、
それを聞いた人々に尋ねるがよい」
と答えた。
ヨハネ18:20~21

 

 マタイ26:17~30
 ルカ23:26~31(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/1;木)

 

 

 ヨブのように、私たちも、
神が自分の言うことにいちいち答えてくださらないからと、
本当は神なんかいないのではないのかと
思ってしまう者なのですね。

 

 けれども、「神のことば」である方、
【父である神】の御思いの、そのままの表現である方、
エスは、皆が聞いているところで公然と語り、
隠れては何も語っていないと言われるのですね。

 

 

 イエスの12弟子の一人、イスカリオテのユダは、
エスが自分の願っているような
「この世の王」になろうとはしないのを見て、
群衆がいないときに、イエスを祭司たちに引き渡そうと
機会を狙っていたのだそうです。

 

 それでイエスは、他の弟子たちに気付かれない、
ユダにだけ分かる方法で、
「わたしは、分かっているよ」とサインを送られたようですが、
ユダは、心を翻(ひるがえ)すことなく、
自分の決めた道を進み、
ついにイエスを敵に売り渡す者となってしまったようです。(マタイ26:21~25)

 

 

 イエスが捕らえられる夜の、
最後の晩餐(過越しの食事)の席上で、
パンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、
弟子たちに与えて言われました。
「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」

 

 また、杯(さかずき)を取り、感謝の祈りをささげた後、
こう言って彼らにお与えになりました。
「みな、この杯から飲みなさい。
これは多くの人々のために、
罪の赦しのために流される、
わたしの契約の血です。」(マタイ26:26~28)

 

 イエスは、神の創造の目的から「的外れ」になっている
私たちに代わって血(いのち)を流してくださり、
私たちの「的外れ」の責任が
果たされたものとしてくださっているのだそうです。

 

 

 イエスは、以前に話されたことがありました。
「わたしは、天から下って来た生けるパンです。
だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。
そして、わたしが与えるパンは、
世のいのちのための、わたしの肉です。」(ヨハネ6:32~59)

 

 私たちのからだが食べた物と一体になるように、
エスの肉を食べるとは、
エスと一体となることを表しているのでしょうね。

 

 神の創造の目的(創世記1:26)から「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスが受けられた十字架刑での処刑に合体させて
死んだ者としていただいた者に、
エスは、もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 

 この方によって私たちの心に
【父である神】の御思いを置き、
私たちの心に【父である神】の御思いがあるようにし、
私たちがイエスと一体となって、
【父である神】と一つ思いになって生きるように、と。(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)

 

 そのために、イエスは、
自分が付けられる十字架をかついで、
ゴルゴダと呼ばれる処刑場への道を一歩一歩、
確実に歩んでくださったのですから。(ルカ23:26~31)

 

 過越しの祭りで、世界中からエルサレムに帰って来ていた
多くの人の見守る中を。

 

 私たちも、このイエスの十字架刑での処刑によって
〔生まれたときからの私〕という霊を死んだ者、
処刑が終わっている者していただいていることを受け取り、

 

復活されたイエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】の御思いの中へと。

今日も。

 

 

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