風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

大きな喜びを私たちに与えて

主はイスラエル
喜びを与えられた。
エズラ記6:22

 

あなたがたの名が
天に記されていることを喜びなさい。
ルカ10:20

 

 イザヤ書66:6~13
 コロサイ書2:16~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/14;水)

 

 

 聖書が啓示している天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちに喜びを与えたいのだそうですね。

 

 天に名が記されている者、
天の御国、神の国の国籍を持つ者とし、
神の子の身分を与えて。

 

 

 この方がイザヤを通して言われます。
エルサレムとともに喜べ。

すべて彼女を愛する者よ、彼女とともに楽しめ。
すべて彼女のために悲しむ者よ、
彼女とともに喜び喜べ。
あなたが彼女の慰めの乳房から飲んで満ち足り、
その豊かな乳房から吸って喜びを得るために。
 

 【主】はこう言われる。
『見よ。わたしは川のように繁栄を与え、
あふれる流れのように国々の栄光を与える。
あなたがたは乳を飲み、
脇に抱かれ、膝(ひざ)の上でかわいがられる。
母に慰められる者のように、
わたしはあなたを慰める。
エルサレムであなたがたは慰められる。(イザヤ66:10~13)と。

 


 イエスの十字架刑での死に合わせられて
エスとともに死んだ者としていただき、
この世の霊から離れた者は、
かしらであるイエスにしっかり結び付き、
キリストのからだとして成長させてくださるのだそうですから。(コロサイ2:16~23)

大きな喜びの中で。
今日も。

 

 

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喜びの名、栄誉、輝かしい栄えの中へ、と

わたしがこの都に与える
大いなる恵みについて
世界のすべての国々が聞くとき、
この都はわたしに喜ばしい名声、
賛美の歌、
輝きをもたらすものとなる。
エレミヤ書33:9

 

主よ、今こそお言葉どおりにこのしもべを
安らかに去らせてくださいます。
この目で万民の救い、
異邦人を照らす啓示の光、
イスラエルの誉れを見たからです。
ルカ2:20~32

 

 創世記32:22b~32
 コロサイ書2:1~7(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/12;月)

 

 

エルサレムよ、
あなたの心の悪を洗い去って救われよ。
いつまで、あなたはその胸に
よこしまな思いを宿しているのか。
エレミヤ書4:14

 

洗礼者ヨハネは言った:
悔い改めにふさわしい実を結べ。ルカ3:8

 

 ヨブ記42:7~13(14~17)
 コロサイ書2:8~15(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句4/13;火)

 


 聖書が啓示している天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、この都、エルサレム
大いなる恵みを与えられるのだそうです。
喜びの名、栄誉、栄えとなるように、と。

 

 【御子である神】を人間とて、マリアの子として生まれさせ、
万民の前に備えられた救いとし、
異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光、

顔と顔を合わせて神を見る者ともして。(創世記32:30)

 

 自分の内によこしまな思いを宿し、神に背を向け、
自分の思いのとおりに生きる私たちを、
エスによって神に向き変り、
神と思いを一つにする者ともして。
 

 ヨブのように自分の本心、確かなことを
神の御前に差し出し、見ていただきながら。(ヨブ42:7~8)

 

 

 【父である神】は、神の御思いに背き、
死んだ者であった私たちを、
エスが受けられた十字架刑での処刑によって
死刑にされた者、死んで墓に葬られた者とし、
エスの復活に合わせてよみがえらせ、
エスと心を一つにして生きる者にして。

 

 イエスの内に根ざす者、
エスという土台の上、神の御思いの上に建てられる者、
神との信頼関係の中で、
感謝にあふれる者として。(コロサイ2:6~14)

 

 喜ばしい名声、賛美、輝き、栄えの中で。

今日も。

 

 

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富のあるところに、心は向くのですから

神は豊かな憐れみにより、
私たちを新たに生まれさせ、
生き生きとした希望を
与えてくださった。
Ⅰペトロ1:3(4/11の週の聖句)

 

富が増えても、心を奪われるな。詩62:11

 

あなたの富のあるところに、
あなたの心もあるのだ。
マタイ6:21

 

 Ⅰペトロ1:3~9
 詩116(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/11;Ⅱ日曜)

 


 聖書が啓示している天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
エスが死者の中からよみがえられたことによって、
私たちを新しく生まれさせ、
生き生きとした希望、
生ける望みを持たせてくださいました。

 

 私たちは、この世の富を増やすことに
心を奪われがちですが、
富のあるところに私たちの心も引かれて行くのですね。

 

 この世の富は朽ちていき、消えていくもの。
死ぬときは全部この世に置いていかなければなりません。

 

 天の神、【主】は、私たちが
朽ちることも汚れることも、消えていくこともない、
天に蓄えられている資産を受け継ぐように
していてくださるのだそうです。(Ⅰペテロ1:3~4)

その宝のあるところ、天をいつも思うように、と。

 

 この方は、情け深く、憐み深く、正しい方。
私が貶(おとし)められたとき、私を救い、
私のたましいを死から、
私の目を涙から、
私に足をつまずきから救い出してくださる方。

 

 私たちに良くしてくださり、
私のたましいを全きいこいに戻してくださる方、なのですから。
詩篇116:1~8)

 

 私たちを、生き生きとした希望、
天に望みを置く者にしてくださって。

この新しい週も。

 

 

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年老いて、力が衰え果てたときにも

老いの日にも見放さず、

私に力が尽きても
捨て去らないでください。
詩71:9

 

だから、私たちは落胆しません。
たとえ私たちの「外なる人」は
衰えて行くとしても、
私たちの「内なる人」は
日々新たにされていきます。
Ⅱコリント4:16

 

 ルカ24:1~12
 コロサイ書1:24~29(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/10;土)

 


 聖書が啓示している天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちが白髪となり、年老いて、力が衰え果てても、
私たちを持ち運び、救ってくださる方。

 

 私たちの「外なる人」は年とともに衰えて行きますが、
この方が、私たちの「内なる人」を
日々、新たにしてくださるのだそうです。

 

 この、今、着ているからだ、肉体のことを言うなら、
エスは、十字架刑での処刑を受けて死に、墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活されたのですね。
それまでのからだのまま生き返ったということではなく、
新しい霊のからだに。

 

 神は、私たちも、
古びていく「外なる人」のまま生き返らせるのではなく、
エスと同じに、新しい霊のからだに
復活させてくださるのだそうですから。
エスと同じ、神の子の栄光に包まれたからだに。(コロサイ1:27)

 

 さらにいうなら、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して
私たちに来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって
私たちの内に始まった新らしいいのち、「内なる人」は、
【父である神】と思いを一つにして、
いよいよ生き生きと生きるのだそうですから。
【父である神】の御思いの中へと。

今日も。

 

 

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神が自分のものとして、名前を呼んでくださるのだそうですから

 

恐れるな、
わたしはあなたを贖
(あがな)う。
あなたはわたしのもの、
わたしはあなたの名を呼ぶ。
イザヤ書43:1

 

もし神が私の味方であるならば、
だれが私たちに敵対できますか。
ロマ書8:31

 

 ルカ24:36~47
 コロサイ書1:15~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/ 9;金)

 


 私たちを創造してくださった方、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が言われるのですね。
「恐れるな。
わたしがあなたを贖(あがな)ったからだ。
わたしはあなたの名を呼んだ。
あなたはわたしのもの。
あなたが水の中を過ぎるときも、
わたしはあなたとともにいる。
川を渡るときもあなたは押し流されず、
火の中を歩いても、あなたは焼かれず、
炎はあなたに燃えつかない」と。

 

 それで、パウロは言います。
「神が私たちの味方であるなら、
だれが私たちに敵対できるでしょうか。
私たちすべてのために、
ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、
どうして、御子とともにすべてのものを私たちに
恵んでくださらないことがあるでしょうか」と。

 

 

 イエスが、【父である神】の御思いを受け、
私たちすべての人間の身代わりとなって、私たちに代わって、
神に背き、神に呪われた者となって
十字架刑での処刑を受けてくださった今は、

 

そして、死んで墓に納められたイエスが、
その三日目の日曜日の朝、
新しい霊のからだに復活され(ルカ24:36~48)、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
天の、【父である神】の右の座に復帰された今は、

 

そして、そのイエスを通して
【父である神】が約束されていた
【聖である霊】と呼ばれる方が私たちに来てくださり、
私たちがいと高き所からの力を着せられるように
なっている今は(ルカ24:49)、

 

私たちは、自分の
〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いは、
エスの十字架刑での処刑に合体されて
死んだ者から出て来た思いであると認めて(ロマ6:11)、
エスの御前に差し出し、見ていただき、
受け取っていただきながら生きるのですね。

 

 そして、この方、【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
うちに【父である神】の御思いがあるようにしていただき、
エスがそうであったように
(ヨハネ6:38、8:28、14:10、16:13~14)、
自分の思いが実現することではなく、
【父である神】の御思いが実行されることを願いながら
生きる者としていただけるのだそうですから。(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)

 

 イエスによって神と和解し、
神の側につく者としていただいて。(コロサイ1:19~23)

神から名を呼んでいただきながら。
今日も。

 

 

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神から隠れ、身を隠す者を

主なる神はアダムを
「どこにいるのか」と呼んだ。
彼は「あなたの足音が
園の中に聞こえたので、恐ろしくなり
隠れております。
私は裸ですから」と答えた。
創世記3:9~10

 

神の前にあらわでない被造物はなく、
すべてのものは神の目に裸であり、
逃れることはできません。
私たちはこの神に
弁明しなければなりません。
ヘブル書4:13

 

 ヨハネ21:1~14
 コロサイ書:1~14(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/8;木)

 

 

 聖書が啓示している神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
「さあ、人をわれわれのかたちとして、
われわれの似姿に造ろう」と仰せられて、
人を造られたのだそうです。(創世記1:26)

 

 「われわれのかたち、われわれの似姿」。
【父である神】、【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神が、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
互いに愛し合うゆえに、
自由意思で、自発的に互いに相手のことを思い合い、
自分の思いが成ることではなく、
相手の思いが成ることを願っておられる(ヨハネ6:38、8:28、14:10、16:13~14)、
その愛し合いの中へ、
自由意思で、自発的に加わる者を、と願われて。

 

 

 その時、一つの心配事について
話し合いがあったのでしょうね。
その、造った人間が、与えられた自由意思でもって、
自分たちと心を一つにしていく方向ではなく、
別のものを求めて行ったらどうしようか、と。

 

 そのとき、【御子である神】が言われたのでしょうね。
「その時は、わたしが人となって人の世に降り、
その責任を負いましょう」、と。

 

 それで【聖である霊】と呼ばれる神が言われました。
「そうすれば、わたしが人のところに行ってともに住み、
人の心に【父である神】の御思いを置き、
人の心に【父である神】の御思いがあるようにし、
受け入れる者が【父である神】と思いを一つにして
生きられるようにしましょう」、と。

 

 そして、いよいよ、「さあ、人を造ろう」ということに
なったということのようです。

 


 そしてその予想のとおり、
神に造られた最初の人、アダムとエバは、
その神との一つの中にとどまることを良しとせず、
「もっと素晴らしい者に、神のようになろう」として、
「神の一人のようになり、善悪を知る者」になる道を
選び取ったのだそうです。

神に対立、対抗し、神と向こうを張る者となる生き方を。

 

 神の創造の目的から大きく外れた「的外れ」な者へと。(創世記3:1~24)

 


 それで、アダムとエバは、神が自分たちを
捜しまわっておられる音を聞いて、
園の木の間に身を隠したのだそうです。

自分の裸を見られるのを恐れて。

 

 それ以来、アダムとエバの子孫である私たち人間は、
神から身を隠し、言の葉で身を包んで、
自分の本心を隠しなら生きる者となっているのだそうです。


 けれども、私たちがどんなに隠しても、
神の目にはあらわでない被造物はなく、
すべてが裸で、さらけ出されているのだそうです。

 

 そして、私たちはこの方の御前で、
自分の人生の総決算をすることになるのだそうです。
自分を弁明しなければならないときが。

 

 私たちすべての人間の身代わりとなり、
神に背いた者、神に呪われた者となって
十字架刑での処刑を受け、
死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度の弟子たちに現れ(ヨハネ21~1~14)、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰されたイエス

 

 そして、そのイエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方と
どのような関係をもって生きて来たかの
申し開きをしなければならないときが。

 

 

 【父である神】は、私たちを
【御子である神】、イエスのいのちによって贖(あがな)って、
「的外れ」の責任が果たされた者とし、
暗闇の世界、自分を隠していく世界から救い出して、
愛する御子の支配下に移し、
聖徒の相続分にあずかる資格を
与えてくださっているのだそうですから。

 

 私たちが、あらゆる霊的な知恵と理解力によって、
神の御心についての知識に満たされ、
主イエスにふさわしく歩み、
あらゆる点で主に喜ばれ、
あらゆるよいわざのうちに実を結び、
神を知ることにおいて成長し、
神の栄光の支配により、あらゆる力をもって強くされ、
どんなことにも忍耐し、
寛容でいられるように、と。(コロサイ1:9~14)

 今日も。

 

 

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呪う者を祝福し、侮辱する者を執り成して 

彼は多くの人の過ちを担い、
背いた者のために執り成しをする。
イザヤ書53:12

 

エスは言われる:
悪口を言う者に祝福を祈り、
あなたがたを侮辱する者のために
祈りなさい。
ルカ6:28

 

 ヨハネ20:11~18
 ルカ24:50~53(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/7;水)

 


 【御子である神】は、
天の、栄光の座をあとにして人となって人の世に降り、
私たちの過ち、「的外れ」の責任をご自分の身に負って
十字架刑での死刑を受けてくださり、
神に背いた私たちのために
執り成しをしていてくださるのだそうです。

 

 それで私たちは、安心して、このままで
【父である神】の御前に出ることができます。

 

 そして、このイエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方は、
私たちの心にも、そのイエスと同じ思いを置いてくださるので、
私たちの心にも、悪口を言う者を祝福し、
侮辱する者のために執り成しの祈りをする思いがあるようにも
なるのだそうです。

 

 

 イエスは、木曜日の夜中に捕らえられ、
金曜日の明け方にかけて
ユダヤ最高議会の裁判にかけられ、

金曜日の早朝、ローマ総督ピラトの裁判によって
十字架刑での処刑が決定し、
処刑場であるゴルゴダ(どくろ)の丘まで
十字架をかついで行かされ、
午前9時頃、十字架につけられたのだそうです。

 

 そして、午後3時頃、「完了した」と言われて
息を引き取られました。

 

 日没から安息日が始まるので、急遽、近くにあった
アリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に
納められたのだそうです。

 

 それで、次の日曜日の早朝、
マグダラのマリアと数人の女性たちが
エスのからだに香料を塗ろうと墓に出かけたのですが、
エスのからだがなく、
マリアは墓の外にたたずんで泣いていたのだそうです。

 

 その時、新しい霊のからだに復活したイエス
墓に向かって泣いているマリアに、後ろから
「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか」と
声をかけられたのだそうです。

 

 マリアは園の番人だろうと思い、
「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、
どこに置いたか教えてください。
私が引き取ります」と言うと、
エスが「マリア」と呼ばれ、マリアは、それが
エスだと分かったというのですね。(ヨハネ20:11~18)

 

 

 新しい霊のからだに復活されたイエスは、
その後、40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、弟子たちをオリーブ山の
ベタニヤの近くまで連れて行き、
手を上げて弟子たちを祝福しながら
天に上げられたのだそうです。

 

 「わたしは、わたしの父が約束されたものを
あなたがたに送ります。
あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、
都にとどまっていなさい」と言い残して。(ルカ24:49~51)

 

 それから10日後のペンテコステ(五旬節)の祭りの日に、
祈り待ち望んでいた弟子たちのところに、
その、約束の【聖である霊】と呼ばれる方が来られて、
弟子たちは
この方が語らせられるままに話し出したのだそうです。
この方が弟子たちの心に置かれる【父である神】の御思いを
御思いのとおりに。
 

 私たちも、このイエスに、過ち、背きを担っていただき、
執り成しの中に置いていただきながら、
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
【父である神】が私を通してしようと思われることを
していく者にしていただけるのだそうです。

 

 イエスと同じように、悪口を言う者を祝福し、
侮辱する者のために祈る思いにも。

今日も。

 

 

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