風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

分け隔て、えこひいきはないのだそうです

その日には、
 人間の高ぶる目は低くされ、
  傲慢なものは卑しめられ、
   主はただひとり、高く上げられる。イザヤ書2:11
 
神は
  人を分け隔てなさいません。ロマ書2:11
 
        (ローズンゲン日々の聖句12/4;金)
 
 終わりの日に、多くの民が来て言うのだそうです。
「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。
主はご自分の道を、私たちに教えて下さる。
私たちはその小道を歩もう。」と。
それは、シオンからみおしえが出、
エルサレムから主の言葉が出るのだそうですから。
 
主は国々の間をさばき、
多くの国々の民に、判決を下すのだそうです。
それで、もう、戦争はなくなり、彼らはその剣を鋤に、
その槍を鎌に打ち直し、
国は国に向かって剣を上げず、
二度と戦いのことは習わなくていいようになるのだそうですね。
そして、人間が自分の手で造った神々は消え失せ、
まことの神、生ける神、主だけが高められるようになるのだそうです。(イザヤ2:2~18より)
 
そのさばきに、分け隔てはないのだそうです。
神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになるのだそうですから。
 
忍耐をもって善を行い、
栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、
永遠の命を与え、
党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、
怒りと憤りを下されるのだそうですね。
 
患難と苦悩とは、宗教家であろうと無宗教の人であろうと、
悪を行うすべての者の上に下り、
栄光と誉れと平和は、宗教家をはじめ無宗教の人にも、
善を行うすべての人の上にあるのだそうですから。
神のさばきは、神がキリスト・イエスによって
人々の隠れたことをさばかれる日に行われるのだそうです。(ロマ2:6~16より)
 
 それで、もし、自分の行いではとうてい、この方の前に立つことができないことを認める人は、
天の神、主が用意してくださっている、御子イエスの十字架刑での死による赦しと救いをいただいて、
処刑済みの手続きをしていただき、
聖である霊と呼ばれる方をお迎えして、新しく生きることができるのだそうですね。
今日。
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