風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

聖なる霊を取り上げないでください

御前から私を退けず、
  あなたの聖なる霊を取り上げないでください。詩編51:13
 
神は、私たちを怒りに定められたのではなく、
 私たちの主イエス・キリストによる
  救いにあずからせるように定められたのです。Ⅰテサロニケ5:9
 
         (ローズンゲン日々の聖句2/24;水)
 
 「聖である霊」と呼ばれる方を取り上げられることもあるのですね。
 けれども、それは、あの方の側で一方的にされる、ということではなく、
私たち、人間の側で、この聖である方を拒否したために起こることのようです。
 
 あるとき、イエスのもとに、悪霊につかれて、目も見えず、口もきけない人が連れて来られたのだそうです。
イエスが、その人をいやされたので、その人はものを言い、目も見えるようになったのだそうです。
人々はこれを見て、驚き、「この人(イエス)は、ダビデの子(ダビデ王の子孫として生まれると預言されているキリスト、救い主)なのだろうか」と言ったのだそうです。
 けれども、当時のユダヤにあって、自分達こそ神の律法に熱心で忠実な者と自負していたパリサイ人たちは、「この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ」と言って、せっかくの天の神、主からの恵みを受け取ろうとせず、無にしてしまったのだそうです。
 それで、イエスは言われたのですね。
「人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし御霊に逆らう冒涜は赦されません。
また、人の子(イエス御自身)に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。
しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、赦されません」と。
 
 天の神、主は、ひとりでも滅びることと望まず、すべての人が、イエスによる「生まれたときからの霊」の死を受け取り、「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えして、新しく生まれた者となり、御自分と思いを一つにし、心を一つにして生きる者になって欲しい、今日、しようと思っていることを、心を一つにして一緒にしていく者になって欲しいと願っておられるのだそうです(Ⅱペテロ3:9)。
今日も。
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