風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

唯一の神、唯一の主

思い起こせ、初めからのことを。
  わたしは神、ほかにはいない。
 わたしは神であり、
   わたしのような者はいない。イザヤ書469
 
 私たちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、
万物はこの方から出、私たちはこの神に帰って行くのです。
唯一の主、イエス・キリストによって、
万物も私たちも存在しているのです。Ⅰコリント86
 
        (ローズンゲン日々の聖句4/25;月)
 
 この世に、神と呼ばれるものはたくさんあります。
 
 しかし、天の神、主は言われます。
「わたしをだれになぞらえて比べ、
わたしをだれと並べて、なぞらえるのか。
袋から金を惜しげなく出し、
銀をてんびんで量る者たちは、
銀細工人を雇って、それで神を造り、
これにひざまずいて、すぐ拝む。
彼らはこれを肩にかついで運び、
下に置いて立たせる。
これはその場からもう動けない。
これに叫んでも答えず、
悩みから救ってもくれない。
 
遠い大昔の事を思い出せ。
わたしが神である。ほかにはいない。
わたしのような神はいない。
わたしは、終わりの事を初めから告げ、
まだなされていない事を昔から告げ、
『わたしのはかりごとは成就し、
わたしの望む事をすべて成し遂げる』と言う。
わたしは、東から猛禽(バビロンを滅ぼしたメディヤ・ペルシャのクロス王)を、
遠い地ペルシャから
わたしのはかりごとを行う者を呼ぶ。
わたしが語ると、すぐそれを行い、
わたしが計ると、すぐそれをする。」(イザヤ46511新改訳)と。
 
また、言われます。
「わたしに聞け、
ヤコブの家と、イスラエルの家のすべて残りの者よ。
体内にいる時からになわれており、
生まれる前から運ばれた者よ。
あなたがたが年をとっても、
わたしは同じようにする。
あなたがしらがになっても、わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。
なお、わたしは運ぼう。
わたしは背負って、救い出そう」(イザヤ4634)と。
 
 人間の手で運ばれる神ではなく、「わたしがあなたがたを運んで来た。これからも運ぼう」と言われる神がおられるのだそうです。
私たちは、万物は、この方の御思いから出て、創造され、この方によって存在し、この方へ帰って行くもの、なのだそうです。
 
 私たち、「神のひとりのようになり、善悪を知る者になっている」(創世記322、「生まれたときからの霊」から来る思いによって生きるのではなく、その思いは、「死んだ者から来た思いである」と認めて(ロマ611)、私たちに代わって十字架刑での処刑を受け、三日目に墓より新しいからだに復活し、天の父である神の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方が(使徒23239)、受け入れる者に来てくださり、受け入れる者の心に置いてくださる「父である神」の、一人一人に思っていてくださる御思いによって、新しく生きる者にしていただけるのだそうです(エゼキエル362528)。
この方を「私の主、私の神」(ヨハネ2028)としていきたいですね。
今日も。