風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

栄光の御業を見る者に

どうか、あなたの栄光をお示しください。出エジプト33:18

 

 フィリポが

「主よ、私たちに御父をお示しください。

そうすれば満足できます」と言うと、

 

イエスは言われた。

「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、

わたしが分かっていないのか。」ヨハネ14:8~9

 

 マタイ3:7~12

 イザヤ書65:11~16

      (ローズンゲン日々の聖句12/13;火)

 

 モーセが、天の神、主に、「あなたご自身が私たちと一緒においでになってください」と願うと、

天の神、主は、

「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう」と言ってくださり、

「あなたの栄光を私に見せてください」願うと、そうしてくださったのだそうです。

 

 イエスが、「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。

わたしはあなたがたのために場所を備えに行く。

わたしは行って、あなたがたのために場所を備えたら、

また来て、あなたがたを私のところに迎えます。

わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

 

 あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。

しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです」と言われるので、

12弟子のひとりのフィリポが「私たちに御父をしめし、見せてください」と言うと、

イエスは「フィリポ、こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、

あなたはわたしを知らなかったのですか。

わたしを見た者は、父を見たのです。

わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。

わたしがあなたがたに言う言葉は、わたしが自分から話しているのではありません。

わたしのうちにおられる父が、

ご自分のわざをしておられるのです」と答えられたのだそうです(ヨハネ14:1~10)。

 

 この、御父と御子イエスの関係、

御父と御子イエスが「一つ」となり、御父の御思いが御子イエスによって実行されていく、

その関係を、使徒ヨハネは「神のことば」と表現したのでしょうか(ヨハネ1:1~2)。

「父である神」の御思いが、御子イエスによって表現される、「ことば」であると。

 

 バプテスマのヨハネは、

イエスのことを「聖霊と火とのバプテスマを授ける方」と世に紹介したそうですが(ヨハネ3:11)、

 

イエスが、みずから、私たちに代わって十字架に架かって処刑されてくださり、

天の神、主から、

「あなたがたは、主を捨てる者、

わたしが呼んでも答えず、わたしが語りかけても聞かず、

わたしの目の前に悪を行い、わたしの喜ばない事を選ぶ者」(イザヤ65:11~12)と言われる、

 

「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている(創世記3:5、22)、

私たち、「生まれた時からの霊」を、火で焼かれたもの、処刑され、死んだものとしてくださり、

 

受け入れる者に「聖である霊」と呼ばれるもう一人の助け主を派遣してくださって、

受け入れる者を、この方の中にバプテスマし、沈め浸し、漬け込み、満たし、上から覆ってくださって、

受け入れる者の心に、

父である神が、そのとき、その時に、私たち一人一人に思っておられる

御思いを置いてくださるのだそうです(イザヤ59:21、エレミヤ1:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 それで、自分の「生まれた時からの霊」をイエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、

十字架につけて処刑された者、死んだ者としていただき、

 

新しく「聖である霊」と呼ばれる方が心に書き付けてくださる「父である神」の御思いについていく者は、

イエスのように、

「父である神」が、今、私を通して語ろうと思われることを話し、

「父である神」が、今、私を通してしようと思われることをしていく者、

その部分においては、私を通して、世に父を示す者としていただけるのだそうです。

 

 御思いの中に出て行ってほしいのだそうです。

天の神、主がいっしょに行ってくださってなさる栄光の御業の中に。

今日も。

 

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