風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

互いに重荷を負い合って

お前たちは大杯でぶどう酒を飲み、最高の香油を身に注ぐ。

しかし、ヨセフの破滅に心を痛めることがない。アモス書6:6

 互いに重荷を担いなさい。

そのようにしてこそ、

キリストの律法を全うすることになるのです。ガラテヤ書6:2

 ルカ18:31~43

 ルカ22:54~62(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句4/8;土)

 ヨセフの名をもって呼ばれる北イスラエル王国が、他の神々に走り、天の神、主によって戒められ、アッシリア軍によって破滅させられている。

 それを見ながら、心を痛めることもなく、自分の身を戒め、神に立ち返ることもせず、ぶどう酒に酔いしれ、最高の香油を身に注いで、自分は大丈夫だと安逸をむさぼっている南ユダ王国の政治的、宗教的指導者たち。

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、私たちにも、誘惑に陥る者であることを認め合って、互いに重荷を負い合うよう、願っておられるのですね。

 イエスの十字架刑での処刑を通して受け入れる者に来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、そのような〔父である神〕の御思いを私たちの心にも置いてくださるのだそうですから。

 女中や下役の言葉さえも怖れて、三度もイエスを知らないと言うペテロ。

そのペテロの信仰がなくならないよう祈っているから、あなたが立ち直ったら、他の弟子たちを力づけてやりなさいと言われるイエス(ルカ22:31~32、54~62)。

イエスから、「預言者たちがわたしについて書いてあることはみな、実現し、わたしはエルサレムで、十字架刑で処刑され、三日目によみがえる」と話されても、弟子たちは、何一つわからなかったのだそうです。

そのように、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている(創世記3:5、22)自分の理性の判断は、〔的外れ〕になっているものであり、

本当のことが見えない者であることを、私たちも認めて、

盲人バルテマイのように、イエスのあわれみによりすがっていくなら、

御心が見える者にしていただき、

〔聖である霊〕が心に置いてくださる御思いについて行く者にも変えていただけるのだそうです(ルカ18:31~43)。

天の神、主は、私たち一人一人を通してしようと思っておられることがあるのだそうですから。

今日も。

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