風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

喜び祝い、楽しむのだそうです。どんな時も。

神に従う人は

誇らかに喜び祝い、

御前に喜び祝って楽しむ。詩68:4

 

 神の国は、

聖霊によって与えられる平和と喜びなのです。ロマ書14:17

 

 エフェソ書3:11~14

 使徒6:8~15(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句6/7;水)

 

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方の御思いに従って生きる者、

愛と尊敬をもって、自由意思で、自発的に、

この方と思いを同じくし、心を一つにして生きる者は、

誇らかに喜び祝い、御前に、こおどりして喜び祝って楽しむのだそうですね。

 

 イエスが、私たちの身代わりになって受けてくださった十字架刑で処刑によって、

「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている(創世記3:5、22)〔生まれた時からの私〕という霊を処刑済み、死んだものとしていただいた者に来てくださる、

〔聖である霊〕と呼ばれる方は、

受け入れる者に平和と喜びを与えてくださるのだそうですから。

 

 この、イエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、

〔父である神〕の御思いに覆われ、

〔父である神〕の御思いを心に置いていただき、

御思いを内に持つようになった者は(ヨハネ17:21)、

大胆に確信をもって神の御前に出、神に近づくことができるのだそうです。

 

 それで、たとえ、この地上にあって、苦難の中にいるとしても、落胆することはないのだそうです(エペソ3:11~14)。

 

 最初の殉教者となったステパノが、知恵と御霊によってイエスによる救いの出来事を語り、

反対者からの偽りの証言によって捕らえられ、

サンヘドリン(ユダヤ最高議会)での不当な取り調べを受けているときも、

心は神の御前にあって、

議会で席についている人々にも、彼の顔は御使いの顔のように見えた(使徒6:8~15)ように。

 

 私たちも、たとえ、苦難の中にあったとしても、

〔父である神〕の栄光と、〔父である神〕の右に立っておられるイエスを仰ぎ見て(使徒7:55)、

喜びに輝くのだそうです。
今日も。

 

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