風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

罪をことごとく赦し、病をすべて癒しながら

私の魂よ、主をたたえよ。

主はお前の罪をことごとく赦し、

病をすべて癒す。詩103:2~3 

 

 足の不自由だった男は躍りあがって立ち、歩き出した。

そして、歩き回ったりおどったりして神を賛美し、

境内に入って行った。使徒3:8

 

 Ⅱコリント3:2~8(9)

 使徒7:1~16(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句6/8;木)

 

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、私たちの罪、「的外れ」の責任をことごとくご自身に引き受けて、私たちを赦し、病のすべてをいやしてくださる方。

 

 この40歳余りの男性、生まれた時から足がなえていて、歩くことができず、人々に、エルサレム神殿の美しの門に運び、置いてもらって、物乞いをして生活していたのだそうですが、

 

新しい契約で生きるようになったペテロとヨハネによって、

エスの聖名の権威によっていやしてもらったのだそうです。

ペテロが、「ナザレ(村出身)のイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言って、彼の右の手を取って立たせると、たちまち彼の足とくるぶしが強くなり、躍りあがってまっすぐに立ち、歩き出し、歩いたり、はねたりしながら神を賛美し始めたのだそうですから。

 

 古い契約、それは今から3500年ほど前、シナイ山において、モーセをとおして、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方とイスラエルの民が結んだものであり、

天の神、主が、石の板にかかれた「十戒」を中心とした、言葉、文章で「律法」としてご自身の御思いを示し、

民は、「主の仰せられたことはみな行い、聞き従います」と答えて成立した契約なのだそうです(出エジプト24:7)。

 

言葉、文章によって示された神の御思いを、人は自分の力でこれを行うというものなのですね。

したがって、その誉れは、行ったその人にあるのですね。

「私はこれだけ、あなたの仰られたことを行いました」(ルカ18:11~12)と。

 

 天の神、主は、その後のイスラエル1500年の歴史を通して、人は、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっていて、どこまでも、自分の理性の判断を優先して、自分の理性で善とした道を進む者、自分の思いのとおりに歩み、ご自身と思いを一つにし、心を一つにするものにはなろうとしないものであることを実証し、人の目に明らかにされ(ロマ3:9~23)、

 

そして、イスラエルのそむきが極限に達したそのとき、新しい契約の約束を与えられたのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

見よ。その日が来る。――主の御告げ―― 

その日、わたしは、新しい契約を結ぶ。

その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。

わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。

 ――主の御告げ―― 

彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。

 ――主の御告げ――

わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。

わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(エレミヤ31:31~33新改訳)。

 

「わたしが清い水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚(けが)れからきよめられる。

あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。

私の霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてにしたがって歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。

あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖の与えた地に住み、

あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる」(エゼキエル36:25~28)と。

 

 この預言から700年ほど後のこと、〔父である神〕は、〔御子である神〕を「女の子孫」(創世記3:15)として人の世に派遣し、

この方がおよそ33歳の頃、私たち、すべての人の「的外れ」の責任をこの方に負わせて、

人々の手によって十字架刑で処刑され、

私たちの「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている(創世記3:5、22)私たちの〔生まれた時からの私〕という霊を処刑されたもの、死んだものとしてくださり、

私たちに新しい霊を授ける道を開いてくださったのだそうです。

 

 〔父である神〕は、十字架刑での処刑を受けられたイエスを、三日目、日曜日の早朝、死者の中から、新しい霊のからだに復活させ、

40日に渡って何度も弟子たちに現れさせて神の国について教えたのち、

オリーブ山から、弟子たちの見ている前で、天のご自身の右の座に復帰させられたのだそうです。

 

エルサレムから離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

もう間もなく、あなたがたは聖霊バプテスマを受けるからです」と言い残させて(使徒1:4~5)。

 

 そして、それから10日後、ペンテコステ(五旬節)という、律法が与えられ、旧い契約が結ばれた記念の祭りの日、

待ち望んでいた弟子たちに、突然、〔聖である霊〕と呼ばれる方が臨まれ、

天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡り、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にどどまり、

みなが、この方が話させてくださるとおりに他のことばで話し出したのだそうです。

 

 このようにして、新しい契約が実現したのですが、

ペテロは、この新しい契約に生きて、

〔聖である霊〕が心に置いてくださる〔父である神〕の御思いによって、

イエス・キリストの聖名の権威によって足のなえた人を立たせたのだそうです。

 

 使徒パウロは、「神は私たちに、〔父である神〕の御思いが、石の板にではなく、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって私たちの心に書かれるという、その新しい契約に仕える者となる、栄光ある資格をくださいました。

石の板に刻まれた文字仕える者ではなく、御霊に仕える者です。

文字は殺し、御霊は生かすからです」(Ⅱコリント3:2~9)と言っているのですね。

 

 それから、2000年、この新しい契約は、この東の果ての日本の私たちにまで届けられ、

受け入れる者の罪を赦し、病をいやしながら多くの人を生かしているのだそうです。

今日も。

 

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