風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

心も思いも、持ち物さえも一つにし、

人々は御前に喜び祝った。

刈り入れの時を祝うように。イザヤ書9:2

 

 信じた人々の群れは心も思いも一つにし、

一人として持ち物を自分のものだというような者はなく、

すべてを共有していた。使徒4:32

 

 ガラテヤ書3:1~5

 使徒7:17~29(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句6/9;金)

 

 「武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって」と

万軍の主は言われるのですね(ゼカリヤ4:6)。

 

 「やみの中を歩いていた民は、大きな光を見、

死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った」(イザヤ9:2)のだそうです。

 

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれ、

一人の男の子が、私たちに与えられた」(9:6)のだそうですから。

 

 その男の子は、およそ33歳の頃、過ぎ越しの祭りのとき、人々の手によって十字架にかけられ、過ぎ越しの小羊がほふられるその時間に十字架上で息を引き取られたのだそうです。

「完了した。すべてが終わった。なし終えた」と言われて。

 

 その方は、ローマ兵によって脇腹から槍で突き刺され死亡が確認された後、

過ぎ越しの祭りの大事な安息日が始まる日没が間近だったので、

急いで、隠れ弟子であったアリマタヤ出身のヨセフが自分のために掘っておいた墓に葬られたのだそうです。

 

 三日目、日曜日の早朝、数人の女の人たちが、その方、イエスの死体に香料を巻こうとして墓に行ってみると、墓の蓋をしていた大きな石は転がされ、中にイエスの死体はなかったというのですね。

 

 その方、イエスは、それから40日に渡って何度も弟子たちに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された後、

オリーブ山から、弟子たちの見ている間に、雲に包まれて、見えなくなられたのだそうです(使徒1:3~9)。

 

エルサレムから離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

もう間もなく、あなたがたは聖霊バプテスマを受けるからです」と言い残して。

 

 そして、それから10日後のペンテコステ(五旬節)の祭り、

シナイ山で、エジプトを脱出したイスラエルの民に、モーセをとおして律法が与えられ、

旧い契約が結ばれたその記念日に、

待ち望んでいた120人ばかりの弟子たちに〔聖である霊〕と呼ばれる方が来られて、

 

〔父である神〕が「わが霊」と仰られるこの方によって、

〔父である神〕が一人一人に思っておられる御思いが、受け入れる人の心に置いていただけて、

人が、〔父である神〕と思いを同じくし、心を一つにすることができる道、

新しい契約(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)が実現したのだそうです。

 

 それで、「わが霊」と仰られる〔聖である霊〕と呼ばれるこの方によって、

エスの弟子たちは〔父である神〕の御思いと一つ思い、一つ心にしていただけて、

持ち物も共有にし、必要に応じて分配し、

刈り入れのときを祝うように喜び祝い、神を賛美していたのだそうです。

 

 自分の力、自分の努力で、文字によって示された神の御心のとおりに生きられるようになったからではなく、

聞いた御言葉に信頼し、約束の御言葉のとおりに〔聖である霊〕と呼ばれる方に来ていただいて(ガラテヤ3:1~5)。

 

 神の人と言われるモーセも、最初、自分の考えと自分の力で、奴隷状態のイスラエルの民を幸せにしようとしたときは、

「だれがあなたを、私たちの支配者、裁判官にしたのか」と拒否されたのだそうですが、

ミデアンの地に身を寄せ、失意のうちに40年、荒野で羊飼いをするそのモーセを、

天の神、主は呼び出し、用いて、御心にしたがってエジプトの王パロと交渉する者ともされたのだそうです。

 

 「わが霊」、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって

〔父である神〕と心と思いを一つにし、

喜び祝う者に。

今日も。

 

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