風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神に訴え、知っていただき、見ていただきながら、お言葉のとおりに

エリファズの言葉:

私なら、神に訴え、

神に私の問題を任せるだろう。

計り難く大きな御業を、

数知れぬ不思議な業を成し遂げられる方に。ヨブ5:8~9

 

 病人は答えた。

「主よ、水が動くとき、

私を池の中に入れてくれる人がいないのです。」

エスは言われた。

「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」ヨハネ5:7~8

 

 イザヤ書43:8~13

 使徒7:54~8:3(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句6/13;火)

 

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、

計り難く大きな御業を、数知れぬ不思議な業を成し遂げられる方。

 

天の神、主は言われます。

「わたし、このわたしが、主、「わたしはある」という者であって、

私のほかに救い主はいない。

このわたしが告げ、救い、聞かせたのだ。

これから後もわたしは神だ。

わたしの手から救い出せる者はなく、

わたしがことを行えば、だれがそれを戻しえよう」(イザヤ43:11~13)と。

 

 イエスは、エルサレムのベテスダの池にある回廊で、38年もの間、病気にかかっている人を見て、「よくなりたいのか」と尋ねられ、

そして、「起き上がりなさい。床を取り上げて歩きなさい」と言われたのだそうです。

 

 それで、その人が、起き上がろうとし、床を取り上げ、担いで歩き出そうとすると、

その人はすぐに治って、床を取り上げて歩くことができたのだそうです。

 

 エルサレムで、十字架に架けられ、処刑されたイエスの復活を宣べ伝えていたステパノ。

捕らえられ、ユダヤの最高議会、サンヘドリンでの審問にあっているとき、

順序立てて、イスラエルの始祖、アブラハムから始めて、イスラエルの歴史の中での神の導きを語り、

「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。

あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。

あなたがたの父祖たちが迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。

彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、

今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者になりました。

あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません」と言うと、

議員たちはこれを聞いて、はらわたが煮えかえる思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしたのだそうです。

 

でも、そのような敵意の中にあって、聖霊に満たされていたステパノは、

天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスを見て、言ったのだそうです。

「見なさい。天が開けて、人の子(イエス)が神の右に立っておられるのが見えます」と。

 

それで、議員たちは大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到し、彼を町の外に追い出して、石で撃ち殺したのだそうです。

 

そのとき、ステパノは、石を投げつけられながら、

「主イエスよ。私の霊をお受け下さい」と言い、

そして、ひざまずいて、大声で、

「主よ。この罪を彼らに負わせないでください」と叫んで、眠りについたのだそうです(使徒7:54~40)。

 

 私たちの身代わりとなり、私たちの「的外れ」の責任をご自身の身に負って十字架刑で処刑を受けてくださり、

死者の中から新しい霊のからだによみがえって、天の父である神の右の座に帰られたイエス

私たち、この方に訴え、問題をお任せしながら、

このイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる〔父である神〕の御思いに導かれて進むといいのだそうですね。

今日も。

 

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