風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

すべての重荷、絡まりつく罪をイエスの足もとにかなぐり捨ながら

イスラエル人は主に言った。

「私達は罪を犯しました。

私達に対して何事でも、御目に適うことを行ってください。

ただ、今日私達を救い出して下さい。」士師記10:15

 

 私達もまた、

すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、

自分に定められている競争を

忍耐強く走りぬこうではありませんか。ヘブル書12:1

 

 ヨハネ6:37~40(41~46)

 使徒13:13 ~25(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句6/30;金)

 

 エジプトを出たイスラエル人が、40年の荒野での生活の後、

約束の地に入り、自分の土地を得て生活が安定し、代が替わって行ったとき、

また、主の目の前に重ねて悪を行い、

行って近隣の人たちの神々に仕え、

自分の神を捨て、主に仕えなかったのだそうです。

 

 それで、神である主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がり、

彼らをペリシテ人の手とアモン人の手に売り渡されたのだそうです。

 

アモン人がヨルダン川を渡って攻め寄せ、イスラエルが非常な苦境に陥ったとき、

イスラエル人は天の神、主に叫んで言ったのだそうです。

「私たちは、あなたに罪を犯しました。

私たちの神を捨てて、他の神、バアルに仕えたのです」と。

 

 すると、天の神、主は仰せられたのだそうです。

「わたしは、かつてエジプト人、エモリ人、アモン人、ペリシテ人から、あなたがたを救ったではないか。

シドン人、アマレク人、マオン人が、あなたがたをしいたげたが、あなたがたがわたしに叫んだとき、わたしはあなたがたを彼らの手から救った。

 

しかし、あなたがたはわたしを捨てて、ほかの神々に仕えた。

だから、わたしはこれ以上あなたがたを救わない。

行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。

あなたがたの苦難の時には、彼らが救うがよい」と。

 

 それでも、イスラエル人は、さらに、このように答えて、彼らが自分たちのうちから外国の神々を取り去って、主に仕えたので、

主は、イスラエルの苦しみを見るに忍びなくなったのだそうです(士師記10:6~16)。

 

 イエスは言われました。

「父がわたしにお与えになる者はみな、私のところに来ます。

そしてわたしのところへ来る者を、わたしは決して捨てません。

わたしが天から下って来たのは、自分の心を行うためではなく、

わたしを遣わした方のみこころを行うためです。

 

わたしを遣わした方のみこころは、

わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、

ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。

 

事実、わたしの父のみこころは、

子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。

わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます」(ヨハネ6:37~40)と。 

 

 私たちもまた、すべての重荷、絡まりつく罪を、

〔父である神〕の御前に言い表し、見ていただき、知っていただいて、

エスの足元にかなぐり捨てながら、助けをいただいて、

〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる、

〔父である神〕が私を通してしようと思っておられる御思いの場に出て行き、

与えられている行程を走り抜くのだそうです。

よみがえり、御前に立つ、その日を目指して。

今日も。

 

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