風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

わたしの足がよろめくそのとき、神の慈しみの御手が下から支えて

「足がよろめく」と私が言ったとき、
主よ、あなたの慈しみが支えてくれました。詩94:18

 パウロの手紙:
私たちとあなたがたとを
キリストに固く結び付けてくださったのは、神です。Ⅱコリント1:21

 ヨナ書2:1~11
 使徒13:26~43(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句7/1;土)

 私たちの足がよろめくとき、天の神、主の慈しみが私たちを支えてくださるのですね。
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、約束のことばを、ことごとく、イエスによって「然り」、「ほんとう」としてくださっているのだそうです。
そして、私たちをキリストに固く結び付け、キリストのうちに固く保ち、
確認の印を私たちに押し、
保証として〔聖である霊」と呼ばれる方を私たちのうちに派遣してくださっているのだそうです。

 天の神、主は、私たちが苦しみの中からお願いすると、答えてくださる方。
たましいがわたしのうちに衰え果てるとき、
この方を思い出し、祈ると、
私たちの祈りは御前に届くのだそうですから(ヨブ2:1~11)。

 バプテスマのヨハネは、イエスについて、
「御覧なさい。その方は私の後からおいでになります。
私は、その方のくつのひもを解く値打ちもありません」と証言したのだそうですが、
エルサレムに住む人たちとその指導者たちは、
エスに死罪に当たる何の理由も見いだせなかったのに、
総督ピラトに強要して、十字架刑で処刑し、
旧約聖書でキリストについて書いてあることを全部なし終えたのだそうです。

しかし、墓に納められたイエスを、
神は、1000年ほど前に、ダビデを通して、
「あなたは、あなたの聖者を朽ち果てるままにはしておかれない」と言っておられたとおりに、
死者の中からよみがえらせ、
幾日にもわたって、イエスといっしょにガリラヤからエルサレムに上った人たちに現させ、
その人たちをイエスの復活の証人とされたのだそうです(使徒13:26~43)。

 このイエスによって、私たちにも罪の赦しが与えられ、
モーセをとおして与えられた神の律法を自分の力、努力で守ることでは解放されることのできなかったすべての点について、
信じ、受け取る者はみな、このイエスによって解放されるのだそうです。

 そして、「子」としてくださる、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるので、
この方によって、「子」の立場で、
エスと同じように、「父よ」と呼び、祈ることができるのだそうですから。

 足がよろめく、その場所で、下から支えてくださる神の御手(申命記33:27)を経験できるのだそうですから。
今日も。
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