風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

親を失った悲しみ、苦しみを知っている方が

親を失った者は、

あなたにこそ憐れみを見いだします。ホセア書14:4

 

 最初の者にして、最後の者である方、

一度死んだが、また生きた方が次のように言われる。

「わたしは、あなたがたの苦難を知っている。」黙示録2:8~9

 

 使徒15:4~12

 フィリピ書2:12~18(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句7/20;木)

 

親を失った悲しみ。

エスは、永遠の初めから、〔御子である神〕、〔ことばである神〕の立場にあって、

瞬間的にも〔父である神〕と離れたことのない、

〔父である神〕と完全に一つになっておられる方なのだそうです。

 

その方が、私たちの〔的はずれ〕の責任を負って処罰を受けるために、人となって人の世に来られ、
十字架刑での処刑を受けられ、
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ぶ瞬間を迎える、
反逆者として扱われ、〔父である神〕と切り離され、親を失う悲しみ、苦しみを経験してくださったのだそうです。

 

それで、「あなたがたの苦難を知っている、わたしも経験している」と言われるのですね。

 

 また、パウロを通して「思い煩い、願い事を神に知っていただきなさい」(ピリピ4:6)と言ってくださっていますが、

私たちが〔聖である霊〕と呼ばれる方に、〔御子イエス〕に、〔父である神〕に話した、告げたことを、神は、「知っているよ」、「聞いているよ」と言ってくださるのですね。

「わたしは知らなかった」と言われることはないのだそうです。

 

 親を失った悲しみ、苦しみを経験された方は、「神のひとりのようになろう。善悪を知る者になろう」としてさまよい出た私たちが、自分の力で、モーセをとおして示された〔律法〕を守り、神のもとに帰ることができないことをよくご存じなのだそうです。

 

 それで、私たち異邦人に、「割礼を受けて、自分の力で、モーセの律法と守るように」とは言われないで、ご自身の恵みによって救い(使徒15:4~12)、

ご自身が派遣される〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、〔相続権を持つ神の子〕にしてくださり(ロマ8:15、Ⅰヨハネ3:1)、

〔父である神〕との親子の、親しい交わりに回復してくださり、

〔父である神〕に自分の思いのすべてをお話しして知っていただき、

〔父である神〕の御思いを心に置いていただいて(エゼキエル36:25~28)、

思いを一つにしていく者にしてくださるのだそうです。

 

「アバ、父よ」と呼びかけて(ロマ8:15、マタイ6:9)。

今日も。

 

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