風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

天の神、主の知識と英知、“霊”の力に満ちて

知恵を授けるのは主。
主の口は知識と英知を与える。
箴言2:6

 イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。
その評判が周りの地方一帯に広まった。
エスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。
ルカ4:14~15

 マタイ5:33~37
 使徒21:27~40(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/9;水)


 私たちが、神のことばを受け入れ、神のことばを自分のうちにたくわえ、
自分の耳を知恵に傾け、心を英知に向けるなら、
もし私たちが悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげ、
銀のように、これを捜し、
隠された宝のように、これを探り出すなら、
そのとき、私たちは、主をおそれることを悟り、神の知識を見いだすようになるのだそうです。
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方が知恵を与え、
御口を通して知識と英知を与えてくださるのだそうですから(箴言2:1~6)。

 

エスは、30歳になる頃まで、ナザレ村で、両親に仕えられ、人々からは父親だと思われていたヨセフの仕事、大工をしながら、普通の人と変わらない生活をしておられたのだそうです。

そして、およそ、30歳の頃、バプテスマのヨハネからバプテスマ(洗礼)を受けられたそのとき、
天が開け、神の“霊”、御霊が鳩のように下って、ご自分の上に来られ、
天から「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」という声が告げられたのだそうです(マタイ3:13~17)。

 

それから、御霊に導かれて荒野に上り、40日40夜断食をしたあと、悪魔の試みを受けられたのだそうです。
悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、
「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。
それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです(ルカ4:6)」と、自分を拝むよう誘ったのだそうですが、
エスは、「引き下がれ、サタン。
『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ(申命記6:13)』と書いてある」と聖書のことばをもって答えられ、これを退けられた(マタイ4:1~11)のち、
御霊の力を帯びてガリラヤに帰られたのだそうです。
そして、“霊”、御霊を通して来る、天の神、主の知識と英知によって教えられたのだそうです。

 

 

私たち日本人も、自分の釈明、主張、自分の正しさを人々に分かってもらおうと、
「天地神明に誓って」とか、「神にかけて」とか、言うことがありますが、
エスは言われるのですね。
「決して誓ってはいけません。
『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。
それ以上のことは悪いことです」(マタイ5:33~37)と。


どこまでも、自分の力で自分の正しさを分かってもらおうとしないで、
正しくさばかれる方、
「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」(申命記32:35、ロマ12:19)と仰る方に信頼し、お任せするのが知恵のあるやり方ですよ、ということでしょうか。

 

 使徒パウロも、エルサレムで、誤解によって殺されようとしたときも、自分を殺そうとする人々に対して釈明するときも、「兄弟たちよ。父たちよ」と呼びかけ、
天の神、主に信頼し、結果は天の神、主にお任せしていたようですね(使徒21:27~22:1)。

 

 私たちにも、〔聖である霊〕と呼ばれる方を通して、「神の知識と英知」が来て、

「天の神、主の知識と英知」で、一つ一つのことに向かって行けるのだそうですから。
神の勝利に向かって。

今日も。

 

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