風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

主のすばらしさを味わい、これを見つめよ

味わい、見よ、主の恵み深さを。
いかに幸いなことか、
御もとに身を寄せる人は。
詩34:9

 イエスの言葉:
わたしは天から降って来た生きたパンである。
このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。
ヨハネ6:51

 Ⅰコリント12:27~13:3
 使徒22:1~21(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/10;木)

天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方の恵みの深さを味わい、見なさい、
体験して知りなさいと仰るのですね。
この方に信頼し、この方の御許に身を寄せる者が、いかに幸いであるかを。

〔父である神〕は、私たち一人一人に対する愛とみ恵みによって、
〔御子である神〕を、私たちのいのちのパンとしてこの世に降らせ、
この方を食べて永遠の世界を生きるようにと言われるのだそうです。

パン(食べた物)が、食べた人のからだの中にあって、食べた人のからだとなり、食べた人のからだと一つになり、また、食べた人のからだも、パン(食べた物)によって出来ており、ある意味で、食べた人のからだは、パン(食べた物)と一つであるということができます(ヨハネ6:35~63)。

 

〔父である神〕は、この方を私たちの身代わりにして、私たちのそむきの責任をとらせて、十字架刑で処刑し、私たちが受けるべき刑罰を処刑済みにしてくださり、
エスと一つにしていただいた者(イエスというパンを食べた者)を、イエスの十字架刑での処刑にも合わせてくださって、
「善悪を知る者」になって、天の神、主に対抗する者になっている私たちの〔生まれた時からの私〕という霊を死んだものとしてくださるのだそうです。

 

そして、墓に葬られたイエスが、三日目、日曜日の早朝、死人の中から新しい霊のからだに復活された、その復活にも合わせてくださって、私たちにも、もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださり、私たちが新しい霊で生きるようにしてくださるのだそうです。

 

〔父である神〕は、この方によって、ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを私たちの心に置いてくださるのだそうです。
それで、私たちも、イエスが、自分からは何事もしないで、〔父である神〕の御思いだけをなさっていったように、この方、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来た、〔父である神〕の御思いのとおりに生きるようにしてくださり、
私たちも、イエスのように、〔父である神〕と思いを一つにし、心を一つにする者にしてくださるのだそうです。

 

それで、一つのからだに多くの肢体があるように、私たちも、イエスのからだの構成部分としていただけて、
肢体がその人の思いのとおりに動くように、
私たちも、それぞれ、違っていながら、
〔父である神〕の御思いのとおりに動き、〔父である神〕の御思いを実行していく者にしてくださるのだそうです。
そして、さらに、よりすぐれた働きに用いてくださり、ご自身の愛に満ちる者にしてくださるのでだそうす(Ⅰコリント12:27~13:3)。

復活されたイエスが、エルサレムで、イエスの弟子たちを男も女も縛って牢に投じ、死にまで至らせ、さらに、ダマスコにいる者たちを縛り上げ、エルサレムに連れて来て処罰しようと、ダマスコに出かけたサウロに現れ、
迫害者サウロをひっくり返し、イエスによる救いを伝えるイエスの使徒パウロとされたように(使徒22:1~21)。

 

そして、私たちも、復活され、40日に渡って何度も弟子たちに現れて神の国のことを語り、弟子たちの見ている前でオリーブ山から、天の〔父である神〕の右の座、〔御子である神〕の位に帰られたイエスにも合わせてくださって、神の子とし、イエスと栄光を一つにしながら、永遠の世界を生きる者にもしてくださるのだそうですから。

 

〔聖である霊〕と呼ばれる方によってイエスと一つにされ、主の恵みの深さの中に出て行き、
味わい、見るのだそうです。私たちも。

今日も。

 

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