風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

正義と、慈しみが結ぶ実を成長させて

正義を洪水のように、
尽きることなく流れさせよ。アモス書5:24

 種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、
あなたがたに種を与えて、それを増やし、
あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。
Ⅱコリント9:10

 Ⅰコリント10:23~31
 使徒24:22~27(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/16;水)

私たちは神の民だとして、盛んな祭りをし、献げ物をたくさんしながら、
自分の理性による善悪の判断に従い、自分の思いのとおりに生き、
ご自身と思いを一つにしようとしないイスラエルの民に対して、
天の神、主は言われるのだそうです。

「わたしはあなたがたの祭りを憎み、退ける。
あなたがたのきよめの集会のときのかおりも、わたしは、かぎたくない。
たとい、あなたが全焼のいけにえや、穀物のささげ物をわたしにささげても、
わたしはこれを喜ばない。
あなたがたの肥えた家畜の和解のいけにえにも、目もくれない。
あなたがたの歌の騒ぎを、わたしから遠ざけよ。
わたしはあなたがたの琴の音を聞きたくない。
公義を水のように、正義をいつも水の流れる川のように、流れさせよ。」(アモス5:21~24新改訳)と。

天の神、主は、私たちを、常にすべてのことに満ち足りて、
すべての良いわざにあふれる者とするために、
あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方。
蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方。
私たちに蒔く種を備え、それをふやし、義の実を増し加えてくださる方なのだそうです。

自由を得させるために、キリストは私たちを解放してくださったのだそうです(ガラテヤ5:1)。
パウロは手紙に書いています。自由な者として、
「すべてのことは、してもよいのです。
しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。
すべてのことは、してもよいのです。
しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。
だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。
あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光をあらわすためにしなさい」(Ⅰコリント10:23~31新改訳)と。

パウロは自由な人でした。
その自由なパウロが、エルサレムへ行けば、捕らえられ、苦難が待っているとの預言を受けながら(使徒21:10~13)、
〔聖である霊〕に心迫られるままにエルサレムに行き、
そして、殺されるところをローマ兵によって助け出され、カイザリヤに護送されて、裁判を受けることになり、裁判の弁明においてイエスを証しし、
また、総督ペリクスにも、「正義と節制とやがて来る審判」を論じたのだそうです(使徒25:1~12)。

 

 イエスは、世の終わりについて言われました。

「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、
地震があり、方々に疫病やききんが起こり、
恐ろしいことや天からの前兆が現れます。
しかし、これらのすべてのことの前に、
人々はあなたがたを捕らえて迫害し、会堂や牢に引き渡し、
わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。
それはあなたがたのあかしをする機会となります。
それで、どう弁明するかは、あらかじめ考えないことに、心を定めておきなさい。
どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしはあなたがたに与えます」(ルカ21:10~15)と。

 パウロの出来事も、このイエスの言葉のとおりのことだったのですね。

私たちにも、自分に与えられている自由意思において、
十字架刑での処刑を受けてくださったイエスを通して来てくださる「聖である霊」と呼ばれる方が心に置いてくださる、〔父である神〕の御思いについて行かせてくださり、
心と思いを一つにして、
神が備えていてくださる正義と慈しみが結ぶ実を成長させてくださるのだそうですから。
今日も。

 

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