風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神々の中の神、主の中の主、「わたしがそれだ」とおっしゃる方が

あなたたちの神、主は神々の中の神、

主なる者の中の主、

偉大にして勇ましく畏(おそ)るべき神、

人を偏(かたよ)り見ず、賄賂(わいろ)を取ることをしない。申命記10:17

 イエス・キリストの言葉:
わたしは天と地の一切の権能を授かっている。マタイ28:18

 ヨハネ4:19~26
 使徒27:13~26(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/23;水)

天ともろもろの天の天、地とそこにあるすべてのものは、
天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方のものなのだそうですね。
この方は、私たち一人一人を恋い慕って、愛していてくださり、
私たちに、ご自分の子、家族になってほしいと言っておられるのだそうです。

だから、私たちも、心の包皮を切り捨て、
うなじのこわい、首筋の堅い、
自分の理性による善悪の判断を一番よいものとして、その判断のとおりを実現しようとし、
頑固に自分の判断を押し通そうとする私自身、〔生まれた時からの私〕という霊を
エスの十字架刑での処刑に合わせてくださって、処刑済み、死んだものとしてくださり、
自分の善悪の判断は、イエスによって〔父である神〕の御前に投げ出しながら生きるようにしてくださるのだそうです。

そして、復活し、天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる、〔聖である霊〕と呼ばれる方が来てくださり、
この方が、〔父である神〕の御思いを私たちの心に置いてくださるので、
私たちも、この、心に来た〔父である神〕の御思いによって行動する、心の包皮の取り除かれたものとしての生き方を生きるようにしてくださるのだそうです。

 〔御子である神〕、〔聖である霊〕と呼ばれる神が、〔父である神〕を愛し、
自分の思いが成ることではなく(ヨハネ6:38)、心を尽くし、精神を尽くして、〔父である神〕の御思いが成ることだけを願っておられる(申命記10:12)、
その愛の熱い御思いが私たちの心にも来るのだそうですから(エレミヤ31:33、エゼキエル36:26)。

人を偏り見ず、みなしごや、やもめのために正しい裁判を行い、
在留異国人を愛して、これに食物と着物を与えられる御思いも。

そして、イエスは、「このわたしがそれだ」と、〔御子である神〕だとおっしゃったのだそうです(ヨハネ4:26)。それで、イエスは、パウロが、ローマに護送される船の中で、ユーラクロンという暴風に遭い、
太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、
助かる最後の望みも絶たれようとしているとき、
パウロに現れ、パウロを通して、「皆さん。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。
昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。
『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザル(ローマ皇帝)の前に立ちます。
そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』 
ですから、皆さん。元気を出しなさい。
すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。
私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます」と言うことができるお方だったのですね(使徒27:13~26新改訳)。

このお方が、私たち一人一人を恋い慕って、愛していてくださり、
思いを同じくし、心を一つにしながら歩もうよと言っておられるのだそうですから。
今日も。

 

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