風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

相続権を持つ、子になって欲しいのだそうですが、

人間は何ものなのでしょう。
人の子は何ものなのでしょう。
あなたが顧みてくださるとは。
詩8:5

 神は私たちを愛して、
イエス・キリストにおいて選ばれ、
神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。
神がその愛する御子によって与えて下さった輝かしい恵みを、
私たちがたたえるためです。
エフェソ書1:4~6

 Ⅱテサロニケ2:13~17
 ルカ13:1~5(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句9/23祝;土)

天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、それほどまでに、私たち、人間のことを大切に思い、御心に留めていてくださるのですね。

 イエスのおられた頃、あるガリラヤ人たちがローマ総督ピラトによって殺されたり、シロアムの塔が倒れて18人の人が死んだことがあったのだそうです。

あるいは、今も、地震で家が倒れ下敷きになったり、山が崩れや津波に飲み込まれたりとか、災難に遭うことがあります。
 イエスは、そのような人たちが、ほかの人たちよりも罪深かったから、そのような災難に遭ったわけではないと言われるのですね(ルカ13:1~5)。
 私たち、いつ、どんな災難に遭っても誰にも文句の言えないはずの者ですが、
このように、平穏無事に過ごせているのは、
私たちが善い者であるからではなく、
私たちは自分のそむきと的外れの中で、死んで当然の者なのに、
なお、天の神、主が顧みて、守っていてくださるから、なのでしょうね。

 〔父である神〕は、すべての人をご自分の子にしようと、すべての人の贖(あがな)い(買い戻し)の代金として、〔御子である神〕のいのちを支払っていてくださるのだそうです。
すべての人が、これを受け取り、ご自分のところに帰って来てほしいと願って。

 ご自分と一つ家族となり、お互いに思いを明かし合い、全部知り合って、心が通じる者、分かり合っている者となって、一つ心で生きていく関係になって欲しいと。

私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受けてくださり、
墓に葬られ、三日目に死人のうちから新しい霊のからだによみがえり、
40日に渡って、弟子たちに何度も現れて神の国のことを語られたあと、
弟子たちが見守る中、オリーブ山から、天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス

 そのイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる神。
その方が、私たちのことを〔父である神〕に執り成してくださり(ロマ8:26~27)、
また、私たちの心にも、〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを置いてくださるのだそうです。
それで、私たちも、イエスがそうであったように(ヨハネ8:28)、
〔父である神〕の御思いを心に持ち、御思いによって行動していく者にもしていただけるのだそうです。
あらゆる良いわざに進み、心に慰めを受け、心を強められて(Ⅱテサロニケ2:17)。
そして、イエスと同じに、天のご自身の栄光にともに輝く者にと。
今日も。

 

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