風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

東から西から、北から南から、私たちも集めて下さり、

主は彼らを国々の中から集めてくださった。
東から西から、北から南から。
主に感謝せよ。
主は慈しみ深く人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。
詩107:3、8

 神は満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、
その十字架の血によって平和を打ち立て、
万物をただ御子によってご自分と和解させられました。
コロサイ書1:19~20

 イザヤ書38:9~20
 ルカ14:15~24(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句10/3;火)

 紀元前538年以降の、バビロン捕囚からの帰還もそうですが、
紀元70年のローマ軍によるエルサレム神殿の破壊以降、2000年の時を経て、
今、まさに、東から西から、北から南から、人々が帰還している様子は、
天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方の慈しみと驚くべき御業、なのでしょうね。

 そして、天の神、主は、イエスの十字架で流された血(血はいのちなのだそうですから)によって、
私たち、すべての人間との平和を打ち立ててくださり、
〔御子である神〕、イエスによって、私たちをご自分と和解させてくださるのだそうです。

エスは話しておられます。
ある人が盛大な宴会を催し、大勢の人を招いた。
宴会の時刻になったので、しもべをやり、招いておいた人々に、
「さあ、おいで下さい。もうすっかり用意ができましたから」と言わせた。
ところが、みな同じように断り始めた。
「畑を買ったので、どうしても見に出かけなければなりません」、
「5くびきの牛を買ったので、それをためしに行くところです」、
「結婚したので、行くことができません」と。

 おこった主人は、そのしもべに言った。
「急いで町の大通りや路地に出て行って、
貧しい者や、からだの不自由な者や、盲人、足のなえた者たちをここに連れて来なさい。」

 しもべは言った。
「ご主人さま。仰せのとおりにいたしました。でも、まだ席があります。」
主人は言った。
「街道や垣根のところに出かけて行って、この家がいっぱいになるように、
無理にでも人々を連れて来なさい」(ルカ14:15~23)と。

そのようなわけで、本来、招かれていなかった私たち、異邦人も、今、招かれているのだそうです。
まだ、その家がいっぱいになっていないようですから。

ユダの王ヒゼキヤが死の病気になったとき、主に向かって大声で泣き、訴えたので、
天の神、主は、預言者イザヤを遣わしてヒゼキヤをいやされたのだそうです。
そのとき、ヒゼキヤ王はうたったのだそうです。

ああ、私の苦しんだ苦しみは平安のためでした。

あなたは、滅びの穴から、

私のたましいを引き戻されました。

あなたは私のすべての罪を、

あなたのうしろに投げやられました。

よみはあなたをほめたたえず、

死はあなたを賛美せず、

穴に下る者たちは、

あなたのまことを待ち望みません。

生きている者、ただ生きている者だけが

今日の私のように、

あなたをほめたたえるのです。

父は子らにあなたのまことについて知らせます。

主、「『私はある』という者」と名乗られる方は、私を救ってくださる。

私たちの生きている日々の間、

主の宮で琴をかなでよう(イザヤ38:17~20新改訳)と。

 私たちも、今日も。

 

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