風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

救いの衣、恵みの晴れ着を着せていただいて

私の魂は私の神にあって喜び躍る。
主は救いの衣を私に着せ、
恵みの晴れ着をまとわせてくださる。
イザヤ書61:10

 イエスの言葉:
今飢えている人々は、幸いである。
あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである。
あなたがたは笑うようになる。
ルカ6:21

 ヘブル書12:1~3
 ルカ17:11~19(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句10/13;金)

 天の神、主が、ご自身の側において、イエスによって、
私たちが大いに楽しみ、喜び躍るようにしてくださっているのだそうです。
わたしたちに救いの衣を着せ、
恵みの晴れ着、正義の外套をまとわせ、
花婿のように栄冠をかぶらせ、
花嫁のように宝玉で飾ってくださるのだそうですから。

園が蒔かれた種を芽生えさせるように、
神である主が義を賛美とを、
すべての国の前に芽生えさせてくださる、のだそうですから。

だから、今、飢えている人、おなかをすかしている人は幸いだ、
今、泣いている人は幸いだとイエスは仰るのですね。

そのままで、イエスを見上げていけば、
エスご自身で、
私たちを、満ち足りるように、
笑いで満ちるようにしてくださるのだそうですから。

そして、それを経験した多くの人たちが、証人として、
私たちを雲のように取り巻いているのだそうですから。

 だから、私たちも、いっさいの重荷と、まとわりつき、からまりついて来る罪とを、
自分で何とかしようとしないで、
父である神と御子イエスの御前に、
投げ出し、かなぐり捨てていけばいいのだそうです。

罪が出て来るたびに、心に罪を感じるたびに、
父である神を、信仰の創始者であり完成者である、御子イエわスを見上げて、
その御前にかなぐり捨て、受け取ってもらうといいのだそうです(ヘブル12:1)。

エスに出会った10人のツァラート(ハンセン病)の人が、遠く離れた所から、
「イエスさま、どうぞあわれんでください」と叫んだように。

そして、いやされて、
そのうちのひとりの外国人は、神をほめたたえ、あがめて、
エスのところに帰って来て(ルカ17:11~19)、
エスとともに歩んだように。


 私たちも。
 今日も。

 

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