風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

あなたが、いやそうと思ってくださるなら

主よ、あなたがいやしてくださるなら、
私はいやされます。
エレミヤ書17:14

 立ち上がって実行せよ。
主が共にいてくださるように。
歴代誌上22:16

 シモン・ペテロの言葉:
先生、私たちは、夜通し苦労しましたが、
何もとれませんでした。
しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。
ルカ5:5

 マルコ2:1~12
 詩32(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句10/22;Ⅳ日)

 ある町で、全身ツァラート(重い皮膚病、あるいはハンセン病)の人が、イエスを見ると、
ひれ伏してお願いしたのだそうです。
「お心一つで、私をきよくしていただけます」、と。
それでイエスは手を伸ばして、彼にさわり、
「わたしの心だ。きよくなれ」と言われると、
すぐに、そのツァラートが消えたのだそうです(ルカ5:12~14新改訳)。

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
「在りて在る者」、「あろうと思われるとおりにある」お方なのだそうです。
この方がいやしてくださるなら、いやそうと思ってくださるなら、
その御思いのとおりに私たちはいやしていただけるようですね。

 

ダビデは、息子のソロモンに、神殿の建設について、
「立ち上がって実行せよ。主が共にいてくださるように」と命じました。
そして、ソロモンがイスラエルの王となったとき、
これを実行し、完成させることができたのだそうです。


エスが、漁から帰って網を洗っていたシモンに、
「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚を取りなさい」と言われたとき、
(この当時、ガリラヤ湖では夜に漁をしていたようですが)、
「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つとれませんでした」と答えたのだそうです。
だから、真昼間の今、漁をしたって、何もとれるはずがありませんよ」と。
けれども、シモンは、それで終わらず、
「でも、おことばどおり、網を降ろしてみましょう」と、イエスの言葉のとおりにやってみたのだそうです。
そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになったのだそうです。
これを見て、シモンは、イエスの足もとにひれ伏したのだそうです。
そしてこの後、イエスに従う者になり、イエスからペテロという名をいただき、
12弟子のひとりに加えられることになったのだそうです。


 イエスが、カペナウムに来られたとき、
家におられることが知れ渡ったので、多くの人が集まり、
戸口のところまですきまもないほどになったのだそうです。
エスは、この人たちにみことばを話しておられたのだそうですが、
そのとき、ひとりの中風の人が4人の人にかつがれて連れて来られたのだそうです。
けれども、群衆のためイエスに近づくことができなかったので、
その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴を開けて、
中風の人を寝かせたまま、つり降ろしたのだそうです。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われ、
また、「(わたしが)あなたに言う。
起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われると、
彼は起き上がり、すぐに床(とこ)を取り上げて、
みんなの見ている前を出て行ったのだそうです(マルコ2:1~12)。


 〔父である神〕は、私たちに、イエスを通して、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。
そして、この方によって、
ご自身が私たち一人ひとりに思っておられる御思いを私たちの心に置いてくださり、
私たちがご自身と同じ思いを思う、一つ心になるようにしてくださり、
ご自身がしようと思われることを私たちがしていくようにしてくださるのだそうです。

 私たち、自分の常識、判断に留まってしまう者ですが、
その御思いのとおりに、おことばのとおりに、立ち上がって行動する者に、
一歩踏み出してみて、御業を体験する者もにしていただけるのだそうです。
だから、「御霊(聖である霊と呼ばれる方)に満たされなさい」(エペソ5:15)と。

今日も。

 

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