風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

平和を追い求めて、互いに受け入れ合い

悪を避け、善を行い、
平和を尋ね求め、追い求めよ。
詩34:15

 キリストも私たちを受け入れてくださったように、
あなたがたも互いに受け入れて、
神の栄光をあらわすべきである。
ロマ書15:7(口語訳)

 マタイ5:2~10(11~12)
 ロマ書3:21~28
 エゼキエル書11:14~25(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句10/31;火)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
私たちが、悪を避け、善を行い、平和を尋ね求める者であるようにと
願っていてくださる方のようですね。

エスは、私たちのそむき、的外れの責任をご自身に引き受けて、
私たちを、このままで受け入れてくださっているのだそうです。

 私たちも、イエスの十字架刑での処刑を、
私たち自身である〔生まれた時からの私〕という霊の処刑としていただき、
エスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えして、
この方によって、心に、〔父である神〕の御思いを置いていただけるのだそうです。

それで、私たちの心にも、
エスが私たちを受け入れてくださったのと同じ思いが来て、
私たちも、イエスが受け入れてくださったように、
互いに受け入れ合う思いを持つようにしていただけるのだそうです。

それで、イエスが言われるように、

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。

柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。

義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。

あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。

心の清い者は幸いです。その人たちは神を見るから。

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

義のために迫害されている者は、幸いです。
天の御国はその人たちのものだから(マタイ5:2~10新改訳)、
という者にしていただけるのだそうです。

聖書で預言されているとおりに、
エスが、私たちの身代わりになって十字架刑での処刑を受けてくださって、
私たちを処罰済みのものにしていてくださり、
墓に葬られ、三日目に死者の中から復活し、
〔天の父である神〕の右の座に帰られた、そのイエスを通して
〔聖である霊〕と呼ばれる方が来て下さって、
受け入れる者が〔父である神〕と思いを一つにして生きるようにしていただける今は、
これを受け取る者、もらう者は、
価なしに、何の働きもなしに、義と認めていただけるのだそうです(ロマ3:21~28)から。

「わたしは、すべての忌むべきもの、忌み嫌うべきものを取り除こう。
わたしは彼らに一つの心を与える。
すなわち、わたしはあなたがたのうちに新しい霊を与える。
わたしは彼らのからだから、石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。
それは、彼らがわたしのおきてに従って歩み、わたしの定めを守り行うためである。
こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる」(エゼキエル11:18~20)
と約束されているとおりに。
今日も。

 

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