風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

輝く光の中を

闇の中を歩む民は、大いなる光を見、

死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。イザヤ書9:1

 キリストが私たちのためにご自身を献げられたのは、
私たちをあらゆる不法から贖い出し、
良い行いに熱心な民を
ご自身のものとして清めるためだったのです。
テトス書2:14

 マルコ13:1~8
 エゼキエル書47:1~12(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句11/18;土)

天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方が、
天地を創造されたときも、
最初、地は闇が覆っていたのだそうです。
そして、神が「光があれ」と仰せられると光があるようになったのだそうです(創世記1:1~4)。

 私たちは、行く先もわからず、暗やみの中を手探りしながら歩いているようなもの。
その私たち人間の世界に、
永遠の初めから「父である神」とともにおられ、
この天地万物を創造された〔御子である神〕が、
人の光として、人間イエスとして、
私たち人間の世界に来て下さったのだそうです(ヨハネ1:1~14)。

 この方は、人の罪を負い、身代わりとなって献げられる犠牲の小羊として、
私たちすべての人間の身代わりとなり、
私たちすべての人間が受けるはずの刑罰をご自身に背負って、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。
私たちをあらゆる不法から贖い出し、
〔父である神〕と心を一つにし、
行動を一つにする
ご自身の民とするために。

 私たちは、このイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
〔父である神〕の御思いを心に置いていただいて、
その御思いによって生きる者に、
聖さと光の中を歩む者にしていただけるのだそうです。


 この世界は、いよいよ、
「私こそキリストだ」と名乗る者が現れ、
戦争のうわさを聞くようになり、
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、
方々に地震があり、ききんも起こるようになるのだそうです(マルコ13:1~8)。
しかし、イエスとともに生きる者は光の中を歩むのだそうです。
今日も。

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