風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

人生という岩を、岩の上に建てるか、砂の上に建てるか

あなたたちは私モーセが命じる言葉に
何一つ加えることも減らすこともしてはならない。
私が命じたとおりに
あなたたちの神、主の戒めを守りなさい。
申命記4:2

 エスは群衆に、
「わたしの母、わたしの兄弟とは、
神の言葉を聞いて行う人たちのことである」
とお答えになった。
ルカ8:21
 マタイ7:21~27(28~29)
 Ⅰテサロニケ1:1~10(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句11/20;月)

 私たち、天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方から、
「わたしたちが一つであるように
わたしたちと一つになる者を」(創世記1:26、ヨハネ17:21~22)
と願われて造られながら、
その、「一つ」の場に留まることを止め、
もっと素晴らしい者に、造り主の上に立つ者になろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者になっている」(創世記3:5、22)者
なのだそうですね。

 その、「的外れ」になっている自分の理性の判断によって、
天の神、主の御言葉に、
何かを加えることも、減らすこともしてはならない、のですね。


エスは言われたのだそうです。
「神の言葉を聞いて行うひとたちこそ、
わたしの母、わたしの兄弟、わたしの家族だ」と。

羊と山羊とがより分けられるというその日、
同じように、イエス・キリストの名によって預言をし、
悪霊を追い出し、奇蹟をたくさん行った人たちが、
この、〔生まれた時からの私〕という霊から来る思いによって
それをしていたのか、
天の神、主の御思いによって
それをしていたのかで分けられていくようですね(マタイ7:21~27)。

 私たちにも、力と聖霊と強い確信とによって、
この神の言葉が伝えられているのですね。
そして、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、
人間が考え出した神々から立ち返り、
生けるまことの神に仕えるようになり、
神が死者の中からよみがえらせなさった御子、
すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエス
天から来られるのを待ち望む人々が起こされているのだそうですから(Ⅰテサロニケ1:5~10)。


 イエスから派遣される〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
今も働いておられ、
〔父である神〕の御思いを私たちの心に置いてくださるのだそうです。
だから、その御思いに、
自分の考えを付け加えたり、差し引いたりしないで、
御思いにとおりについて行くといいのだそうです。
「わたしの愛する子よ」と呼んでいただきながら。
今日も。

 

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